2018年06月24日 に初出の投稿

Last modified: 2018-06-24 16:50:02

「我々は主観的に永遠に死へ到達できない」のではない。「死ぬ瞬間までの間には、我々は死んだりしない」というあたりまえのことを、死ぬ瞬間までの時間を細かく切り刻むことによって示しているに過ぎない。

死を恐れるということ

前野隆司さんの著書を参考にして、未来へ向かって想像しうる主観的な内容がどんどん圧縮され最後の「死」に到達できないという論証は、ゼノンのパラドクスと同じく上記のように論駁しうる。過去に、例えば森先生と話していた頃は超準解析で片付くなどと言っていたものだが、実はそういう特別な理論を用意しなくてもよいのである。

僕は、この話にアキレスと亀が登場することは本質的でもなんでもないと思っているのだが、ひとまず「競争」という set-up を仮定しておくと、同じようなパラドクスは別の状況にも言える。アキレスが亀を追い越してゴールへ到着したとしよう。何秒か何分かは知らないが、暫くして亀もゴールする筈である。それが現実の出来事であろう。さて、では逆に考えてみて、アキレスが亀を追い越したところまで記憶を戻してみよう。1秒だけ戻ってみると、アキレスはゴールから 10 m ほど後退する。そして、そのあいだに亀も僅かに後退する筈だ。そして、いま亀がいた位置にアキレスがいた時刻まで戻ってみても、亀は未だにその位置へ到着していないのだから、少しだけ後退しているだろう。ここから先へ従来の逸話と同じ論法を繰り返せば、アキレスは時間を遡及するという意味においても亀を追い越したことになっていないという結論が出てくる(いつまでもアキレスは亀の前方にいるしかないので、寧ろハンディキャップをもらっていたのはアキレスの方だったという奇妙な話になる)。そしてそれは、上記で述べた批評と全く同じように、アキレスは永遠に亀の前方へいるままだということを表しているのではなく、亀を追い越した時点までアキレスは亀を追いかけていたことにはならないという当たり前のことを、亀と並ぶ瞬間までの時間を(未来の側から逆に)無限に分割して示しているにすぎないのである。

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