Profile and Private Records

河本孝之(KAWAMOTO Takayuki)

Contact: takayuki.kawamoto@markupdancing.net

ORCID iD iconORCID, Google Scholar, PhilPapers.

First appeared: 2014-03-08 20:00:00,
Modified: 2019-11-12 22:05:49,2020-03-28 11:09:51,2020-08-07 19:25:28,2020-09-03 09:35:46,2022-12-26 12:10:34,2023-01-16 11:53:05,2024-09-18 22:49:51,2026-05-18 10:28:15,
Last modified: 2026-05-24 10:59:18.

河本孝之(かわもと・たかゆき / Takayuki Kawamoto)

当サイト(MarkupDancing)の運営と、大半の記事を書いているのは、河本孝之(かわもと たかゆき、昭和43年9月20日(1968年9月20日)- )です。現在、僕は大阪市北区のオンライン・サービス会社で業務基盤支援部(旧、情報システム部)の部長と Chief Privacy Officer(個人情報保護管理者)、それから Chief AI Officer(最高 AI 利用管理者)を拝命しています。情報セキュリティマネジメントシステムの実務とウェブアプリケーション開発、サーバ管理から HTML コーディングやドメインの取得管理、名刺や会社案内といった印刷物のデザイン、そして機械や「システム」と名のつくものに関わるヘルプデスク全般も担当しています。哲学者としての専門は科学哲学で、因果関係、確率、自然法則、普遍、随伴関係、モデル理論、情報理論、デイヴィット・ヒューム、ルドルフ・カルナップ、ヘンリー・カイバーグをテーマとしています。

※ このページのリスト表記は、全て昇順で(ascending order。上から順番に、古いものから新しいものへ)並んでいます。

※ 以下の記載は、僕が僕自身について書いているので、客観的かつ証拠がある内容とは限りません。うろ覚えで書いているかもしれないからです。それから、「Chief Privacy Officer なのにどうして自分の情報を公表しているのか」と訝しく思う方に述べておくと、個人情報にせよ、プライバシーにせよ、公開する・しないの判断は本人の自由です。個人情報保護のマネジメントに従事しているからといって、スパイのように匿名で生活しなければいけないというわけではありません。

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パーソナリティ

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寄付・購読

※ 三井住友銀行の口座が PayPal から遮断されているため、決済不能で以下のメディアは購読を停止しています。セキュリティ対策は分かるけど、いったい何か月止めてるんだよ。無能だなあ。

※ 2020-12-11 に PayPal の振替口座を三井住友銀行からみずほ銀行へ変更して、ひとまず Aeon だけ donation (subscription) を再開した。

※ 2021-02-26 に The New York Times も購読を再開した。こちらは Google Pay と au 決済の連携なので、電話料金と一緒に支払いとなる。

※ 2022-07-14 に PayPal から本人確認のためマイナンバーを教えろと言ってきた。これは、明らかに番号法違反なので拒絶すると、本人確認できないので銀行との連携をやめるという。そういうわけで、PayPal のアカウントを休眠として、連携していた銀行の口座からも資金を引き揚げて、代わりに Aeon(既に NYT は読んでないので購読を解除していた)だけでも寄付を続けたいので、いよいよクレジット・カードを作った。現在、Aeon はクレジット・カードを登録して寄付している。

※ 2024年9月で Aeon の donation も停止した。殆ど一ヶ月に1本も記事を読んでいなかったし、いまでは Aeon のサポーターが増えていて、読みもしていないユーザがサポートするまでもなくなったと判断できる。

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肩書(2026年現在)

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学歴

昭和50年(1975年)
大阪府八尾市立山本南保育所を卒園。(保育所は既に閉園)
昭和50年(1975年)
大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校に入学。第100期生。(ソースはないが保育所から附属天王寺小学校に入学した初めての生徒だったらしい。)
昭和56年(1981年)
大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校を卒業。在学中は卓球部に所属。
昭和56年(1981年)
大阪教育大学教育学部附属天王寺中学校に内部進学。第35期生。
昭和59年(1984年)
大阪教育大学教育学部附属天王寺中学校を卒業。在学中は社会科クラブに所属(3年生で部長)。
昭和59年(1984年)
大阪教育大学教育学部付属高等学校天王寺校舎に内部進学。第29期生。
昭和62年(1987年)
大阪教育大学教育学部付属高等学校天王寺校舎を卒業。在学中は陸上部(1年次のみ。専門は200mと三段跳び)、地理歴史部、文藝部、数理研究部、ESS、放送局に所属。まったくの余談だが、同級生を中心に上級生、下級生、さらに他の高校の生徒も含めた河本の「ファンクラブ」が存在していて、休日に出かけたなんば City などでも数回ほどファッション・モデルのスカウトを受けたことがある。
平成元年(1989年)
大阪経済法科大学法学部法律学科に入学。試験の優秀な結果により入学料を免除される。
平成5年(1993年)
大阪経済法科大学法学部法律学科を卒業。学士(法学)。専攻は刑事法学(武田誠ゼミ)と法哲学・法社会学(独学)。

入学案内に掲載された記事の写真
拡大した PDF、8.7 MB
平成6年(1994年)
関西大学大学院文学研究科、博士課程前期課程(哲学及哲学史研究第I講座)に入学。平成5年度の秋期入学試験で合格したため、入学は翌年となった。
平成9年(1997年)
修士論文を書き直すために1年の留年を経て、関西大学大学院文学研究科、博士課程前期課程(哲学及哲学史研究第I講座)を修了。「確率的因果性の概念」で修士(文学)の学位を受ける。指導教官は竹尾治一郎(分析哲学, 主査), 渡辺幸博(フランス現代思想, 副査), 山本幾生(現代哲学, 副査)。在学途中に竹尾が古希で退官し名誉教授となったため、僕は修士課程までの修了者ではあるが、先輩や他の大学教員から「竹尾治一郎の最後の弟子」と言われることがある。
平成10年(1998年)
神戸大学大学院文化学研究科(博士課程、文化構造専攻科学基礎論専修)に転学。修士課程での指導教官であった竹尾治一郎が退任しているため、関西大学で臨時講師をしていた森 匡史の元で勉強を続けることとした。なお、関西大学大学院を受験したときは受験生の中で英語の得点が最高だったのに、神戸大学大学院の受験では第二外国語のドイツ語よりも英語の得点が低かったという。そのため、森の尽力もあってかろうじて合格できた。こういう事情があるので、昔から自らを「最低レベルのドクター」であると公言しており、自分よりもレベルの低い人間は大学院へ入るべきではないという持論をもっていた。
平成13年(2001年)
家庭の事情により、神戸大学大学院文化学研究科(博士課程、文化構造専攻科学基礎論専修)を中退。指導教官は森 匡史(科学哲学, 主査), 真方忠道(ギリシア哲学, 副査), 松田 毅(近代ドイツ哲学, 副査)。研究計画書を提出して受理されているため、日本に制度はないが “Ph.D candidate” ていどまで進んだことになる。

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所属学会

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Jobs

昭和62年(1987年)7月~昭和63年(1988年)5月
東京都千代田区神田神保町の(当時の入居場所であった「一ツ橋KIビル」は既に存在しない)デジタルネットワーク株式会社にアルバイトとして入社。『月刊CDay』編集部でクラシック音楽 CD やコンサートの取材、記事編集を担当する。当時、若手の指揮者として売り出し中だった飯森範親へのインタビューをするため、有名な写真家だった木之下晃に同行した。
平成4年(1992年)~平成5年(1993年)
大阪府立夕陽ヶ丘図書館(当時)内の愛工社にて特許資料等の検索・複写業務(アルバイト)
平成7年(1995年)3月
吹田市の補習塾で非常勤講師(中学理科)を担当。当時の生徒に知念里奈がいた。
平成8年(1996年)~平成9年(1997年)
第一屋製パン株式会社空港工場(大阪府豊中市、伊丹空港)の食パン課包装係に株式会社アクティスの派遣社員として配属。食パンの包装や仕分けを担当。
平成9年(1997年)~平成10年(1998年)
株式会社大阪包装社でローソンのおにぎりやサンドウィッチなどの包装紙梱包(アルバイト)
平成10年(1998年)4月~平成10年(1998)9月
神戸大学教務助手(学部講義:科学哲学)
平成11年(1999年)10月~平成12年(2000)3月
神戸大学教務助手(修士演習:科学哲学)
平成12年(2000年)4月~平成12年(2000)9月
神戸大学教務助手(修士演習:科学哲学)
平成13年(2001年)~平成14年(2002年)
大阪府吹田市(当時)のネット・ベンチャーに入社。CAFIS という NTTDATA の決済サービスを紹介するサイトなどを担当し、チーフデザイナーとなるものの、コンタクトレンズやバイアグラの通販といった事務作業も多く、元プログラマを自負していた社長も実際には三下の VB コーダだと分かって、会社の事業や自分のスキル向上の機会など先行きに不安を感じて退職する。
平成14年(2002年)~平成18年(2006年)
大阪府東大阪市(当時)のメディア制作会社に入社。サーバ管理、プログラマー、デザイナー、自社サイトのディレクターを兼任。当時のウェブ制作業界では滅多に経験できない大量のアクセスをコントロールする、サーバ運用やプログラミングの技術を習得する絶好の機会となる。提携していた開発会社の主任プログラマに開発能力を絶賛される。
平成18年(2006年)5月~平成18年(2006年)6月
大阪市北区与力町(当時)のデザイン会社に入社。コーダおよびプログラマーとなるが、終電で帰宅することすら歓迎されない社風になじめず退職。毎日、チーフと東天満交差点の「薩摩っ子ラーメン」で食事して帰るという日々が続き、だんだん精神を病んできた。
平成18年(2006年)7月
大阪市北区堂島のネット・ベンチャーにシステム系ディレクターとして入社。平成18年(2006年)11月にシステム部長となる。
平成19年(2007年)1月
取締役(システム部長兼任)となる。
平成20年(2008年)1月
取締役とシステム部長を退いて情報セキュリティ事務局の責任者となる。
平成20年(2008年)12月
システム部長となり、情報セキュリティ事務局の責任者を兼任する。
平成23年(2011年)2月
情報セキュリティ事務局の責任者(経営会議メンバーの役職者で専任の部門長, Chief Privacy Officer)専任となる。2020年にプライバシーマークの付与資格認定7回目を記念して、所属企業が JIPDEC から感謝状を受ける。
令和2年(2020年)7月
情報システム部が新設されて、部長に就任する。
令和8年(2026年)5月
組織変更により所属部門が人事総務本部となったため、管掌に合わせて部署名を「情報システム部」から「業務基盤支援部」に変更。
令和8年(2026年)6月
所属企業が「AI利用ポリシー」を公表し、CAIO (Chief AI Officer) を拝命する。

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褒賞と資格

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著作物・公開での発表等

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パブリシティ

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