Scribble at 2026-11-02 09:35:41 Last modified: unmodified

先月は、初旬は『白夜行』について色々と考えたり、『愛着障害』や『犯罪心理学入門』といった本まで手にして読解を続けていたのだけれど、ふとしたきっかけで『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』というテレビ・アニメを観て興味をもち、原作の漫画を読んだことがきっかけとなって、10月の中旬以降は殆どを『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』という漫画に関わる調査や Gemini との壁打ちや考察に費やしていた。文芸作品についてあれこれと考えたり調べるというのは、これまでにも幾つか事例があった(『ダイヤモンド広場』など)けれど、漫画やアニメについてこれほど熱を入れたのは久しぶりだ。

理由は論説で何度も書いているが、仕事に対する熱意とか直向きさみたいなものに心を動かされたからであって、X で喧しく非難されているような「若くて可愛い女の子と付き合いたい(しかも向こうから惚れられたい)中年の欲情」みたいなものとは違う。そして、そういう妄想を抱いて24時間営業のスーパーへ通って店員を物色するような馬鹿が増えないことを願ってもいる。

これは論説の中でも書いた話題だが、フィクションの文芸作品なら小説だろうと戯曲だろうと映画だろうと何でも当てはまることとして、そこで描かれている登場人物は原則として実在の人ではない。あたりまえのことだが、こういうことをきちんと学校で教わっていないか、考えてもいない人が多いのかもしれないが、これは登場人物がプロットや人物設定によって構想された表現あるいは記号にすぎないという意味だ。文芸作品の作者というものは、地主氏に限らず、こういう記号を使って作品としてなにかを表現しようとしているというのが、中学レベルの標準的な文芸作品の鑑賞というものである。したがって、身も蓋もない言い方だが、山田や佐々木は人物設定というスペックの束として描かれているのであって、現実にどこかにいる女の子や中年男性なのではないし、『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』は、どこかに実在する人々の生活や人生を描こうとしているドキュメンタリー漫画なのではない。改めてこれは強調しておかないといけないのだろう。

もちろん、作者の地主氏ですら、山田という女性についてあらゆる特徴やあらゆる事情を想定し尽くしているわけではないはずだ。たとえば、山田という女性の下の名前ですら(わざと)設定していない可能性だってあるし、些末なことで言えば生まれた病院の名称だとか、通っていた小学校で何組のクラスだったとか、それが生身の本人であれば覚えているはずのことでも、しょせんはスペックの一組あるいは記号でしかない山田という女性には必要ない限り設定されたりしないであろう。すると、未設定のことがらについて違いがあっても、設定された範囲だけで言えば、山田という女性に設定されたスペックを全て満たすような現実の女性が、いま日本のどこかに実在する可能性はゼロではない。したがって、「聖地巡礼」などと称してスーパーに通い始める連中が、何らかの期待を抱いてしまうのだろう。だが、こういう妄想、あるいは人についての未熟な理解というものには、多くの危険がある。その最も大きな危険は、もちろん現実の人をスペックだけで判断することだ。

ヒトに限らず生物というものは、大半の時間を恋愛感情や性欲にとらわれて生活してなどいないので、そもそも男女として出会うような場所に行く必要がなければ行かないし、そういう恋愛関係のきっかけとなるような行動も必要なくとったりしない。山田が佐々木という中年男性を初めて喫煙所に招き寄せるシーンを覚えている人は多いと思うが、あのシーンこそ、現実には(職場の規則という理由だけではなく、そもそも人間ましてや女性の心理として)殆どありえないことなのである。それゆえ、昨今はマッチング・アプリが流行していて、「その気になった」状態の人たちがマッチングするような、機械的な仕組みが出来上がっている。しかし、そこでマッチングされるのはスペックであって、スペックでしかありえない。すると、条件だけなら山田のような女性はいるかもしれない。接客業に従事していて、未婚の二十代で、ラーメンが好きで・・・などなど。でも、地主氏はその中の具体的に誰かを描こうとしているわけではないし、恐らくモデルにした現実の女性がいるとは思えない。

もちろんだが、こういうアプリを利用する人々は、スペックだけでは分からないことが多いからこそ、そこから先に進んで対面でのやりとりを続けなくてはいけないと感じるだろう。そして、その末に結婚した人々もいまでは多いと思うのだが、事前の付き合いが短ければ、それだけリスクが大きい。「こんな人だとは思ってなかった」的なミスマッチが後で起きるからだ。もちろんだが、こんなことは見合い結婚だろうと同じことである。そしてもちろん、多くの場合にそういうミスマッチが起きても妥協して生活を続ける人たちも多い。これまたサンク・コストというありがちな心理があって、いまさら相手を見つけなおすだけのコストをかけられないと思ってしまうからだ。

なんにせよ、僕たちはスペックと付き合ったり、スペックと夫婦生活を送るわけではないのであって、スペックにもとづく言動しか描かれていない文芸作品の登場人物が「何を表現しているか」を誤解することは断じて避けなくてはいけない。

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