Scribble at 2026-03-02 12:43:55 Last modified: unmodified
教科書や勉強について色々と書いているけれど、MD でもこのサイトで自分の狭い経験や適当な思いつきから好き勝手なことを書いているように思われてしまうのは仕方ないが、MD では幾つかの YouTube チャネルをご紹介しているように、テキストの構成などについても、学習する側の立場からどのように著作物をデザインするべきなのかを、上でご紹介するジャスティン・サンのような人々のセッションから学んでいるし、実際に自分でも試してみてから書いているつもりだ。こと、ここでは都内の未熟な編集者やインチキ出版社などに対する罵倒ばかり書いているからから、まじめな学習理論(僕がドクターだった頃でも、機械学習と混同する人が大学の中にすら多くて辟易したものだが)を語っているつもりでも、まぁたいていは大阪のドクター崩れなアマチュアのおっさんが、われわれ殿上人の東大生や都内の分析哲学者様に向かって偉そうなことを書いているとでも思っているのであろう。だが洋書の英文読解くらいしか能が無い小僧ども、いいからわれわれ大人の話を聞け。
ということで、ここでは真面目な議論を一つだけやっておくと、
https://www.youtube.com/watch?v=EyOEB0EoIP8
このセッションで詳しく解説されているように、学習には一定のペースなり配分なり限界というものがあり、単にテキストのページを次々とめくるだけではだめなのである。これも前から(いや、中学時代に「睡眠学習法」などのインチキに色々と懲りてからは高校時代からだが)言っているように、「速読」などというザッピングで学習などできるものではない。ヒトの脳には、そんな処理能力などないのであって、このようなザッピングで「読んだ」と称している詐欺師どもがやっていることは、そのようなテーマの本に対する自分自身の偏見を、ザッピングしているときに見て取るキーワードによって強化しているだけなのだ。実際には、こうした詐欺師どもが教材として選ぶ通俗的な本(専門書を「速読」の材料に選ぶ人がいないのは、これが理由である)というのは、読んで見れば常識的に考えるだけで分かるようなことを書いているにすぎないということが圧倒的に多い。元マッキンゼーだろうと、10億円の資産をもつ FX 投資家だろうと、クズみたいなベンチャーの起業家だろうと、あるいは外務省の元職員だろうと、しょせんはブログ記事を書くていどの手間だけでありきたりな常識を200ページの文章として薄めて書いているにすぎない。その中に、自分しか知らない経験談や、関連があるというだけのどうでもいい歴史的な出来事のディテールをやたらと細かく説明するだけで、200ページなんて簡単に埋まる。それこそ、現在は生成 AI にその手のテンプレを設定すれば、実のところ編集者のパソコンで数分もあれば原稿が出来上がってしまい、あとは名前を貸してもらう本人に目をとおしてもらって許可さえもらえたら出版できる。生成 AI が普及し始めてから既に3年は経過しているのだから、とっくにゴースト・ライターどころかライターが実在しない出版物が続々と出版されていると思ってよいだろう。
かような中で、たとえば僕が言っているように、基礎となる離散数学などから始めるような非常にスケールの大きな科学哲学の教科書を設計するとなると、もちろん「情報の波に押し流される」といった未熟なスタンスの連中がオウムのように口にする不安が多くの初学者に立ちふさがるのは当然であろう。そして、ジャスティンが言っているように、「何のために読み、勉強するのか分からなければ、脳も同じように受け取った情報を価値や意義のないものとして、すぐに捨ててしまおうとする」のだと思う。MD でも書いていることだが、結局は単語帳で大量の受験英語を勉強してもぜんぜん英語が身につかない人が日本にたくさんいるというのも、一時的な負荷に耐えられる若い頃はあるていどの数をこなして、受験が終わるまで覚えておくことができても、身についていない単語などたちどころに忘れてしまうからだ。これは英語を母国語とするような人々でも、初頭的な力学すら教えていない三歳児に "special relativity" などというフレーズを教えたところで、そんなもん自分が生きたり考えるための言葉として使う機会がなければ、記憶力が旺盛な子供ですら数週間もあれば忘れてしまうのだ。
したがって、膨大な分量のテキストは必要だと思うが、学ぶ側にそれを記憶することを求めてはいけないのであって、まず第一に何のために科学哲学を学ぶ必要があるかを自分で気づいたり考えてもらう材料として提供することが重要だ。女子高生のパンティーやビキニ・アーマーの幼女を表紙に描くも同然の通俗的なパフォーマンスで若者受けを狙うなどという、文字通りスケベ根性では、まともな読者など育たないしついても来ない。馬鹿だけに売れて X で騒いでもらったところで、この国で日本語で書籍を出版するということの社会科学的な成果など 1mm も積み上げられないのだ。