Scribble at 2026-02-18 08:09:12 Last modified: unmodified
The paper infers from the success of a religion to its truth. The first premise is that if a religion is true then probably it is successful. Drawing on Plato, it is shown that religion aims at friendship between the divine and the human. Friendship requires likeness, and human beings are like the divine by being ethically good. So, religion aims to foster ethical virtue and to shape social institutions in ethically positive ways, and these as extensively as possible. A true religion should be successful in these aims, since divine beings are potent. The second premise is that if a religion is false then probably it is unsuccessful. There are many religions. A small cluster stand out in their success. So, the background probability of failure is high. So, learning that a religion is successful should raise our credence that it is true, since its success is unsurprising if it is true and surprising if it is false. The third premise is that Christianity is a successful religion by the criteria offered, raising the probability that Christianity is true. Eleven objections are answered.
既にお気づきの方もいると思うが、ただいま Gemini との壁打ちを利用して、Spriger Nature で読めるオープン・アクセスの論文から、適当に選んで Gemini との話題として暫く議論したのち、その議論を僕の文体を参考にまとめなおしてもらっている。少なくとも、「僕に同調するな」とか「僕の論理的な欠陥や不十分な推論を指摘せよ」と厳命しているうえで Gemini が納得したというていどの指摘や批評を加えているから、デタラメな議論をしているわけでもないと思う。さて今回も、わざと叩きやすい論文を取り上げているわけではなく、哲学の元プロパーであれば(とうぜん、神戸大にそのままいたら匿名のレフェリーとかもやってただろうし)このていどの作業はチューインガムを噛みながら歩くていどのことだろう(この、アメリカ人が「大人になる」とか「まっとうな人間にとっては容易いこと」ことの喩えとして使う表現って、どういうエピソードが元になってるんだろう?)。
マーカス・ウィリアム・ハント(Marcus William Hunt)による「成功からの論証(The Argument from Success [https://en.wikipedia.org/wiki/Existence_of_God])」は、特定の宗教が歴史的に獲得してきた圧倒的な普及度や社会的影響力(成功)を、その宗教が内包する形而上学的な正しさ(真理)の証左として提示しようとする試みである。ハントは、ある宗教が真実(True)であるならば成功する確率は高く、偽(False)であるならばその確率は低いという二つの前提を置き、ベイズの定理(Bayes' theorem [https://en.wikipedia.org/wiki/Bayes%27_theorem])を用いて推論を行う。彼によれば、宗教の真理性に関する事前確率を 0.5 と仮定しても、キリスト教のような顕著な成功を事後的に観測することで、その信頼度は 0.83 まで上昇するという。ここでいう「成功」とは、単なる信者数の多寡ではなく、プラトン(Plato [https://en.wikipedia.org/wiki/Plato])的な「神と人間の友情」という目的論(Teleology [https://en.wikipedia.org/wiki/Teleology])に基づき、倫理的な徳を備えた人間を輩出し、徳を促進するための強固な社会構造を長期間にわたって維持・拡大させてきた質的な成果を指している。ハントは、真実の宗教は強力な行為者である「神」と繋がっているがゆえに、自然的要因を超えた威力によってこうした成功を収めるはずだと主張する。
しかし、この論証を精査すると、そこには「真実(Truth)」という概念に対する極めて疑わしい予断と、推論上の重大な飛躍が認められる 。まず、ハントが前提とする「真実」は、客観的な実在性、特定の徳へと導く目的論、そして唯一無二の排他性をセットにした極めて強い形而上学的定義に基づいている 。しかし、論証において「真理の結実」と呼称されている現象、すなわち高度な向社会性、強固な相互扶助システム、そして爆発的な普及といった要素は 、社会学や進化心理学の文脈における「適応(Adaptation [https://en.wikipedia.org/wiki/Adaptation])」という概念によって、神的な実在を仮定せずとも十分に説明が可能である 。
例えば、初期キリスト教が展開した「ミニ福祉国家」的な社会構造や、嬰児遺棄を禁じるなどの生命倫理、そして強力な互助ネットワークは 、文化進化論における集団淘汰(Group selection [https://en.wikipedia.org/wiki/Group_selection])の観点から見れば、外部に対する競争優位性と内部の結束を最大化するための、極めて巧妙な「文化形質」として機能したと解釈できる 。ハントは、こうした自然的説明と自らの形而上学的説明は異なるレベルで両立し得ると弁明するが 、科学的実在論(Scientific realism [https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_realism])をめぐる「悲観的帰納法(Pessimistic induction [https://en.wikipedia.org/wiki/Pessimistic_induction])」が示唆するように、あるシステムが歴史的に「成功(Success)」し、有用性を発揮しているという事実は、直ちにそのシステムが世界の客観的なありようを正しく射抜いている「真実(Truth)」であることを保証しない。
むしろ、ここでの「成功」は、組織化の巧妙さや人間の心理的バイアスを突くナラティブの構築といった、世俗的な「システムの生存戦略」の結果に過ぎない可能性を排除できていないのである 。ハントの論証には、社会的にデザインされた「高度な虚構」と、超自然的な「客観的真理」を峻別するための独立した基準が欠落しており、結果として「真理には適応力がある」という前提そのものが、結論を先取りした循環論法的な予断を含んでいると言わざるを得ない。
結論として、ハントによる「成功からの論証」は、宗教の歴史的・社会的普及という現象を、その成功を支える「巧妙な組織化」や「心理的バイアス」といった自然的・経験的な要因から性急に切り離し、超自然的な形而上学的実在へと結びつけている点に致命的な欠陥がある。「最善の説明への推論(Inference to the Best Explanation [https://en.wikipedia.org/wiki/Abductive_reasoning])」に照らせば、ある現象(宗教の成功)を説明する複数の仮説が存在する場合、より少ない前提で現象を網羅できる仮説が優先されるべきである。社会システムとしての生存戦略、あるいは人間心理の脆弱性を巧みに突いたナラティブの構築といった自然的要因によって「成功」が十分に記述・予測可能である以上、そこに「形而上学的な真実(Truth)」という検証不可能な付加的要素を持ち込むことは、理論的節約性の観点からも妥当とは言い難い。
結局のところ、ハントの論証において「真実」という語が果たしている役割は、客観的な事実に根ざした記述ではなく、自らが所属するシステムの成功を事後的に合理化するための「価値付与」に留まっている疑いがある。真理(Truth)を単なる機能的な有用性(Utility)や適応度(Fitness)と等置してしまうこのアプローチは、科学的知見を援用しながらも、その実、科学哲学的な厳密さが要求する「真理と現象の間の峻別」を等実視によって無効化しようとするカテゴリー・ミステイク(Category mistake [https://en.wikipedia.org/wiki/Category_mistake])に陥っている。したがって、この論証が宗教の真理性を客観的に基礎づけたと見なすことはできず、むしろ「真実」という観念そのものが、いかに特定の予断や組織的背景によって変質しうるかという、社会認識論的な課題を浮き彫りにしていると結論づけざるをえない。
・・・と、ここまでが Gemini のまとめた壁打ちの経緯だ。最初、Gemini の要約によると、この論文には「成功」という観念についての反論が多くて、それに著者が応えるという内容だったのだが、僕にはどちらかと言えば「真実」という観念の方に疑念があるので、そちらでの論証の弱さや予断を突いてみたというわけである。だって、成功なんて最初から社会的な価値観や評価基準であることがわかりきってて、哲学の問題でないのは自明だろ? 哲学として論じるなら、どう考えても「真実性」の方ではないか。