Scribble at 2026-01-30 21:18:32 Last modified: 2026-01-31 08:43:15
本が多くて生活する空間が少ないから、それなりに不便だ。そこで蔵書の整理をしたいのだが、読んだ本を二度と手に取らないというつもりで手放したり(古本業者に売る)、まだ読んでいなくてもいいから手放してもよい本を割り切ってしまったりというだけでなく、何度か「自炊」を検討してみたりする。でも、結局は同じ推論を繰り返して断念するのだから、もうこんな無駄なことは終わりにしたい。そのつもりで、ここへ書いて態度を明確にする。
既に判例があるように、まず自炊の「代行業」は著作権法違反である。世の中には「著者や出版社が禁止している本の自炊はしません」と断っている自炊代行業者が多く、それ以外は著作権者に確認してから自炊を依頼してくれと言っている。だが、それは問題が起きたときに依頼する方の責任にできるからであって、実際には自炊を委託すること自体が全て違法なのであるから、出版社や著者が許可するしないにかかわらず、自炊を受託するという取り引きが違法なのだ。そして、世の中の自炊代行業者に自炊を委託している人の中で、現実に Cambridge University Press や岩波書店へ自炊代行への委託ができるかどうかを確かめている人など一人もいるまい。つまりは、自炊代行業者も委託する方も、捕まらなければいいということでしかないのだ。Z-Library や SciHub で海賊版の PDF をダウンロードするような行為と大して変わらないのである。
ただし、自分で買った本を自分で自炊するのは、これは購入した権利の中に入ると見做されているし、そもそも買ったもの(物体としての所有権が移行している財産)をどう扱おうと消費者の勝手であるのが自由経済社会における私法の原則だ。僕らは著作権を買ったわけではない。したがって、本を買ったからといって本を書いたのが自分なのだと言い張ることはできないわけだが、本を買えば、後は古本屋に売ろうと自炊しようと、あるいは読んだ内容を参考にして自分で何かを書こうと、買った者の好きにできる。それは、著作権を除けばただの物体にすぎないからだ。
しかし、購入した本人が自炊するのは良いとしても、現実に自炊を切実にやるべき事情がある人の多くは、僕と同じく何千冊の蔵書を電子化したくて自炊を検討するわけである。そして、自炊するのに何ヶ月も時間と手間をかけるべきかどうかは自明とは言い難いコストがかかる。少なくとも、僕は自分の蔵書を自分の時間と手で自炊するのはまっぴらごめんである。たぶん、全て自炊がおわるまでに寿命が来てしまうかもしれないし、それまでに読書する時間を削って自炊するわけだから、自分が死ぬまでのあいだを明明白白な「生ける本末転倒」として過ごすなど、哲学者として致命的な自己欺瞞であり悲惨というものであろう。