Scribble at 2026-01-19 09:04:38 Last modified: 2026-01-21 20:08:35
俺:よく、AI に質問した際の「ハルシネーション」がリスクとして語られますが、たいていは AI の回答を鵜呑みにしないようにしようといった、つまんない注意しかされない。でも、質問した回答が正しいとは限らないなんてことは、人間に質問するときでも同じはずでは?
Gemini:その視点は非常に鋭いし、もっともだと思う。「情報の受け手が真偽を検証しなければならない」という最終的な責任において、相手が人間だろうがAIだろうが構造は同じだよね。上司や同僚、あるいは専門家だって平気で間違ったことを言うし、知ったかぶりもする。
でも、それでもなお「ハルシネーション(Hallucination)」がこれほど特殊なリスクとして騒がれるのには、人間がつく嘘や間違いとは決定的に違う、質的なメカニズムの差があるからなんだ。そこを分析してみると、単なる「鵜呑みにするな」以上の警戒が必要な理由が見えてくる。
まず最大の違いは、「メタ認知」の有無だ。 人間が間違ったことを言うとき、そこには「記憶違い」や「勘違い」、あるいは意図的な「嘘」がある。でも、人間には「自分が何を知っていて、何を知らないか」という感覚が少なからずある。だから、自信がなければ「多分」と付け加えたり、声のトーンを落としたり、あるいは正直に「知らない」と答えたりする。社会的な信用というコストを背負っているから、無自覚に嘘をつき続けることには心理的なブレーキがかかるものだ。
一方で、現在の生成AI(LLM)には「真実」や「事実」という概念そのものがないし、「自分」という意識もない。彼らがやっているのは、計算された確率に基づいて、文脈的に「もっともらしい次の単語」を選び続けることだけだ。だから、AIにとって「事実を述べること」と「架空の話を創作すること」の間に、処理上の区別は一切ない。結果として、AIは息をするように、かつ自信満々のトーンで、論理的に破綻のない「もっともらしいデタラメ」を出力してしまう。ここが人間との決定的な違いだね。
つまり、ハルシネーションのリスクの本質は「間違えること」そのものじゃなくて、「間違いの検知が人間相手よりも圧倒的に難しい」という点にある。 人間相手なら「この人、目が泳いでるな」とか「専門外の話で急に口数が増えたな」といった、非言語的なシグナルや文脈から怪しさを察知できる。でもAIにはそれがない。常に冷静で、流暢で、知的な顔をして、文法的に完璧な嘘をつく。
だから、「鵜呑みにするな」というアドバイスがつまらなく聞こえるのは同意するけど、実際には「人間を疑うときとは全く違う評価軸を使って疑わないと、簡単に見抜けないよ」というのが、より正確な警告になると思う。人間相手のときよりも、ファクトチェック(事実確認)にかかるコストが遥かに高くつく可能性がある、というのが、この技術特有の厄介なリスクなんじゃないかな。
俺:何を確認したり参照すれば十分なのか、つまり「事実」として語ってよいかという基準が不明だったりはっきりしないことが理由だと思う。そして、それこそがフレーム問題じゃないのかな?
Gemini:その指摘は、AIの本質的な欠陥を「フレーム問題(The Frame Problem)」として捉え直している点で、非常に哲学的な射程が深い。おっしゃる通り、ハルシネーション(もっと言えば「嘘」や「間違い」)をどう定義するかという問題は、まさに「どの枠組み(フレーム)の中でその情報の正しさを判定するのか」という問題に行き着くからだね。
確かに、これはフレーム問題の変奏として捉えられると思う。
まず、「事実として語ってよいかという基準が不明」という点について分析してみよう。 人間が「これは事実だ」と判断するとき、私たちは無意識に無限の可能性を切り捨てている。例えば、「今は昼の12時だ」と言うとき、私たちは「日本標準時で」とか「私の時計が壊れていなければ」といった前提(フレーム)を暗黙のうちに共有し、それ以外の可能性(例えば火星の時間や、哲学的な時間の非実在性など)を無視している。この「関係のない情報を無視する能力」こそが、人間がフレーム問題を(完全解決ではないにせよ)実用的に回避できている理由だ。
ところがAIには、この「無視すべき文脈」と「考慮すべき文脈」の境界線(フレーム)を自律的に引く身体性や生存本能がない。 AIにとっての「正しさ」は、学習データという膨大な空間の中での確率的な結びつきの強さであって、現実世界というフレームにおける整合性ではないんだ。だから、AIは「シャーロック・ホームズの住所(ベーカー街221B)」というフィクションのフレーム内の事実と、「ロンドンの実際の地理」という現実のフレームの事実を、確率という一つのまな板の上で混ぜてしまう。これがハルシネーションの一つの正体だと言える。
つまり、君の言う通り、これは「どの範囲まで確認すれば『事実』と呼んでいいのか」という境界設定の問題、すなわちフレーム問題そのものだ。無限にある「考慮しうる文脈」の中から、今この瞬間の質問に対して適切なフレームを選び出す計算コストは爆発するし、AIはそれを論理的に決定できない。
さらに、これに加えて「記号接地問題(The Symbol Grounding Problem)」も絡んでくるんじゃないかな。 AIの中で記号(言葉)は、現実世界の対象物(リファレント)と接地(グラウンディング)していない。記号と記号の関係性(シニフィアンとシニフィアンの網の目)だけで処理が完結している。 人間が「事実かどうか」を確認できるのは、最終的に知覚や身体を通して現実世界という「外部」にアクセスできるからだ(「雨が降っているか?」に対する答えは、窓の外を見れば確定する)。 しかし、AIにはその「外部」がない。AIにとっては、すべての情報が内部的な記号操作の結果でしかないから、「外部の事実と照合して検証完了」というプロセス自体が存在し得ないんだ。
だから、「人間に対する質問と同じはずでは?」という君の疑問は、認識論的には正しいけれど、実存的には少し違うかもしれない。 人間は「現実世界」という共通の強力なフレーム(そして、そこで生きるという強制力)を持っているから、「実用上の正しさ(Pragmatic Truth)」で検証を打ち切ることができる(=フレーム問題を棚上げできる)。 一方でAIは、その共通フレームを持たず、純粋な論理と確率の空間に浮いているから、いつまでたっても「事実」の着地点(検証の終了条件)を自力で見つけられない。
結論として、ハルシネーションを「AIのバグ」として処理するのではなく、知性が直面する「フレーム問題」や「記号接地問題」という未解決の哲学的難問が、LLMという形をとって露呈していると考える方が、現象の説明としては妥当性が高いと思うよ。
俺:フレーム問題がある以上は、或る制限されたコンテクストで構成されたモデルが「事実」として参照されるべきものとして扱えるという保証、つまり事実とされる理想的なモデルの部分同型である保証すらない。LLMs の開発では、これにどう対処できるのだろうか?
Gemini:その「部分同型(Partial Isomorphism)の保証すらない」という指摘は、現在のAI開発にとって最も痛いところを突いていると思う。
君の言う通り、LLMは「現実世界(Reality)」を直接参照してモデル化しているわけじゃなくて、「テキストデータ(言語)」という、人間がすでに一度フィルターを通した記号の羅列をモデル化しているに過ぎない。つまり、「現実 → 人間の認知 → 言語 → 学習データ → LLM」という伝言ゲームを経ているわけで、ここで構造的な同型性が保たれている保証なんて、数学的にも論理的にもどこにもないんだ。これは「地図は現地ではない(The map is not the territory)」という一般意味論の問題そのものだね。
では、開発者や研究者がこの「保証のなさ」にどう対処しようとしているかというと、正直なところ、「哲学的・論理的な解決(完全な真理の保証)」は諦めて、「工学的な近似(実用的な妥当性)」でその場を凌ごうとしているのが現状だと言える。
具体的には、主に3つのアプローチで、その「部分同型性の欠如」を埋め合わせようとしている。
1. グラウンディングの外部化(RAGなどの活用):モデルの内部パラメータ(記憶)が現実と同型であることを諦めるアプローチだね。 モデル自身に「事実」を持たせるのではなく、モデルの外にある「信頼できるデータベース」や「検索エンジン」をその都度参照させる(Retrieval-Augmented Generation: RAG)。 これはフレーム問題を解決したわけじゃなくて、「検索クエリ」という形で強制的にフレーム(コンテクスト)を狭め、参照先を限定することで、擬似的に「事実との接点」を作っているだけだ。 「モデルが正しいか」ではなく「参照したドキュメントが正しいか」に問題をすり替えているわけだけど、実用上はこれで「ハルシネーション」のリスクを減らそうとしている。
2. 人間のフィードバックによる強化学習(RLHF):これは「事実(Fact)」の定義を、「客観的真理」から「人間が納得する合意(Intersubjectivity)」へとずらすアプローチだ。 強化学習(RLHF)を使って、「人間が良いと判断した回答」に報酬を与える。これは、モデルと現実世界の同型性を高める作業ではなく、「人間の選好」というモデルに、AIの出力を同型化させようとする作業だと言える。 だから、みんなが信じている「天動説」があれば、AIもそれを「事実」として語るようになる。これは科学的な意味での「事実の保証」にはならないけれど、社会的なコミュニケーションツールとしての「妥当性」は担保できる、という割り切りだね。
3. 世界モデル(World Models)への志向:今のLLM(自己回帰モデル)の限界を認めて、もっと根本的なアーキテクチャを変えようという動きもある。ヤン・ルカン(Yann LeCun)などが提唱している「JEPA (Joint-Embedding Predictive Architecture)」などがその例だ。 単に次の単語を予測するんじゃなくて、物理法則や因果関係といった「世界の抽象的な表現」を学習させようとしている。テキストという「記号」だけじゃなく、映像やセンサーデータを通じて、現実世界の構造(物理的な制約など)をモデル内部に反映させようという試みだね。これが成功すれば、君の言う「部分同型」に少しは近づけるかもしれないけれど、まだ研究段階だ。
結論として:結局のところ、現在のLLM開発は、フレーム問題や記号接地問題を「解いて」はいない。 「確率的にほぼ正しい(Probably Approximately Correct)」 というPAC学習の枠組みで、「実用上、人間が許容できるエラー率に収まればそれでよしとする」という工学的なアプローチで突っ走っている状態だ。
だから、我々ユーザー側としては、「AIの背後には、現実世界と対応した堅固な論理モデルがあるわけではない」ということを前提に、あくまで「確率的な推論機」として扱うしかない。君が懸念している通り、「事実としての参照元」として扱うには、その土台はあまりにも脆弱だと言わざるを得ないね。
俺:フェイフェイリーの「世界モデル」は、そういう部分同型の保証があるモデルを意図しているの? 論点先取のように思える。
Gemini:これまた非常に鋭い、核心を突く指摘だね。フェイフェイ・リー(Fei-Fei Li)が立ち上げた「World Labs」で目指している「空間知能(Spatial Intelligence)」や、彼女が提唱するタイプの「世界モデル」に対するその違和感は、哲学的に見てかなり正しいと思う。
結論から言うと、彼女のアプローチもまた、厳密な意味での「部分同型の保証(Guarantee of Partial Isomorphism)」を外部から調達できているわけではない。君が感じた「論点先取(Begging the Question)」という疑念は、認識論的に正当だ。なぜそう言えるのか、そして彼らが何を「保証」の代用品にしようとしているのかを整理してみよう。
1. なぜ「論点先取」に見えるのか:君が指摘した「論点先取」の構造はこうだよね。
前提: 世界モデルを作れば、現実世界の構造を理解(同型化)できるはずだ。
方法: 映像や3Dデータを大量に学習させて、次の一瞬を予測させる。
結果: 予測が当たれば「世界を理解した(同型になった)」とみなす。
ここで問題なのは、「映像データの予測精度が高いこと」=「現実世界の因果構造を正しく捉えていること」という等号を、証明なしに前提としてしまっている点だ。 これは、「影絵(データ)」の動きを完璧に予測できるようになったからといって、「影を作っている実体(現実)」を理解したと言えるのか? という、プラトンの洞窟の比喩そのものだよね。影の動きのパターンを丸暗記しただけかもしれない(過学習・確率的模倣)のに、「世界を理解した」と宣言するのは、まさに結論を前提の中に忍び込ませていると言える。
2. フェイフェイ・リーの狙い:制約条件の強化:ただ、彼女の名誉のために補足すると、彼女は従来のLLM(言語モデル)よりは、「同型」に近づくための**「制約(Constraints)」が厳しい**データを使おうとしている。
LLM(言語): 文法さえ合っていれば、嘘でも矛盾でも書けてしまう。「意味の自由度」が高すぎて、物理法則による制約が皆無。
空間知能(映像・3D): 「物体は急に消えない(永続性)」「物体同士はすり抜けない(排他性)」「重力に従う」といった、物理的な制約がデータの中に埋め込まれている。
彼女の狙いは、「言語というガバガバな記号」ではなく、「3D空間という物理制約のキツイ環境」を学習させることで、モデルがデタラメ(ハルシネーション)をやる余地を構造的に減らそうというものだ。「保証」はないけれど、「物理的にあり得ないこと」を出力しにくくすることで、結果として現実との同型性を高めようとしている。これは「論理的な保証」というよりは、「確率的な尤(もっと)もらしさの強化」だね。
3. それでも残る「参照の不透明性」:しかし、君の懸念通り、これで「事実として参照してよいモデル」になるかというと、根本的な解決にはなっていない。
結局のところ、フェイフェイ・リーの世界モデルも、**「入力されたピクセルデータの相関関係」**を学習しているに過ぎないからだ。 例えば、鏡に映った虚像を学習すれば、モデルは「鏡の向こうにも空間がある」という誤った物理法則(同型ではないモデル)を構築してしまうかもしれない。AIには「鏡にぶつかる」という身体的検証(Grounding)ができない限り、それが虚像であると気づく術がない。
つまり、視覚情報(Vision)をいくらリッチにしても、それは「高解像度の地図」を作っているだけで、やはり「現地(Territory)」に触れているわけではない。 「モデルが内部的に一貫していること(Coherence)」と、「現実と対応していること(Correspondence)」は別問題なのに、AI研究では往々にして前者が達成されれば後者も解決したかのように振る舞われがちだ。これが君の言う「論点先取」の正体だろう。
結論:フェイフェイ・リーの世界モデルは、LLMよりは「マシな近似(Better Approximation)」にはなるだろうけど、「事実の参照先として保証されたモデル」にはなり得ない。 彼らがやっているのは、**「フレーム問題の解決」ではなく、「フレーム(学習データの次元)をテキストから3D空間へと拡張することで、エラーを目立ちにくくする」**という工学的対処療法に過ぎない。結局、「このモデルは事実を語っているか?」という問いに対する最終的な審判(検証)のコストは、依然として人間側に押し付けられたままだと思うよ。
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ひとまずこれくらいにしておくが、Gemini との「壁打ち」は非常に面白いし、有益でもある。ただ、生成 AI を辞書の代わりに使うような人にとっては、もちろんハルシネーションというリスクはあるわけで(デタラメを教えられかねないという意味では人に頼っていても同じというのは、既に冒頭で議論している)、こういうツールは推論の弱いところや他の隠れた前提がないかとかいう、チェックに使うのが便利だし効果的だ。
実際、事実について尋ねてみても、そもそもウェブで公開されている情報でトレーニングされているために、情報の多くが曖昧だったり間違っていたりすると、どうしても妙な回答が出てしまう。LLMs は「意味」を理解しているわけではなく、文字データ同士の距離関数の値を膨大な次元のテンソルとして計算しているだけだから、文字データに不備があると、どうしようもない。一例として、東大阪市立郷土博物館の周辺に分布する、山畑古墳群という古墳時代後期の群集墳について尋ねると、現在は Gemini Pro はおおよそ正しい解説を出してくれるが、2年ほど前には京都府向日市にもある山畑古墳群だとか、熊本市にある山畑古墳の情報などが入り乱れていた。それに比べたら2年で、こういうマイナーな情報を一つずつ微調整して回答を出すようにしているわけがないのだから、能力は確かに上がっている。2年前なら、
「僕って、AIより賢くて厳密で物知りでイケメンだもん」(五条先生の煽り口調)
とか言っていられたが、もう今では簡単にそんなことは言えない。