Scribble at 2026-01-16 11:49:56 Last modified: 2026-01-17 10:39:54
マリリン・ストラザーンによる『監査文化の人類学』(〈叢書〉人類学の転回)なんていう書籍にも目配せしつつ、僕はマネジメント・システムの認証制度や監査といった accountability に関わる制度や文化を尊重している。これは、もちろん僕自身の管掌であるからという理由や、僕が権威主義者であるという理由で説明できたり正当化できるのかもしれないが、もう少し個人としての偏りや好みとは別のところで議論できるだろうと思う。たとえばシグナリングとしての役割は否定しがたいであろう(もちろん、それに依存したり悪用するからいけないのだという批評はあろう)。それに、素人にありがちな「マネジメントなんてしなくていい」とか「認証制度に意味はない」といった、結局は勉強と同じで面倒だったり難しいことを避けるための言い訳として「主婦感覚」だの「庶民感情」だの「ビジネスのリアリティ」だのと言ってのける愚劣な凡人どもの減らず口など、哲学者はいうに及ばず、諸兄も1秒すら傾聴する必要はない。哲学者のような、それこそ庶民感情ではビジネスの対極にいるような者に言われるのは不愉快であろうが、「ビジネスのリアリティ」なんていう表現を使ってるやつに限って、クソみたいな仕事や経営しかできていないものだ。気の毒なことだが、哲学者でありながら有能なサラリーマンでもあるという人間だっているのである。
これは戸田山氏が書いた『哲学入門』の書評でも述べたことと同じであり、他人の成果を役立てようとか、役立てる見込みがあると思っていない人間が口にするメタ批評なんてものは、しょせん無能が語るゴミの類である。自分が他人の成果(その集積が学問であり知識であり伝統というものだ)を役立てるチャンスや能力あるいは経験だとか知識の積み上げを欠いているという、「重過失」なり「欠格事項」を自ら疑ってみたり自覚できないことほど愚かしいものはない。
ただ、現実に色々な認証制度について調べたり、あるいは業務として携わっていると強く感じることがある。もともと認証の目的は規格に準じた適正なマネジメントを導入する組織を増やしたいという社会的な目的があるはずだ。しかし、殆どの認証制度では規格の文書が非常に高額で販売されている。たとえば、人事については「ISO 30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)」というものがあるけれど、こういうガイドラインに沿って自社の取り組みをアピールできるように体制を整備することは社会的な、つまり自社だけにとどまらない価値をもつと考えられているからこそ考案されているはずなのに、規格書は67ページ足らずの英語版が CHF 225、つまり4万円もする。おそらく、日本語版としてリリースされたら5万円を超えるであろう。ということは、もうこの手のことをやるために上場して資金を集めなくてはいけないという、僕には本末転倒としか思えないようなことが求められているのが認証制度の実態ではないのかと思える。
僕が従事しているプライバシーマーク制度にしても、たまたま弊社は僕のような人材が専任で担当しているが、50人にも満たない中小企業で情報セキュリティと個人情報保護の専任者がいる会社なんて日本国内に100社もないであろう。だが、そういう特別な事情のある会社でしかまともな個人情報保護マネジメントができないというのは、制度の目的からすれば不本意であるに決まっている。NRI やトーマツなど、他人に指導するほどの余裕がある会社だとか、一部の大企業みたいに専任部署をつくる財務的な余裕がある会社でしかまともなマネジメントシステムが構築できないなら、彼らだけで勝手にやっておればよく、プライバシーマーク制度は「プライバシーコンサルマーク制度」にすればいいし、あるいはマークうんぬんというよりも、単純に上場監査の基準にすればよいのだ。
そもそも、ISO や JIS なんて有能であるかどうかすら疑わしい小役人どもが作っているにすぎないルールや理念であって、ビジネスの世界にいる哲学者でもあるわれわれが一字一句を唯々諾々と真似たり従う必要などない。本来は何が正しく、あるいはビジネスとして妥当な駆け引きや打算として受容できるのかといったことまで含めて、単に「規格官僚」どもが作った書類にすぎない ISO や JIS などを上回るレベルで思考するべきであるし、そういう観点から採用した産業規格を社内の規程に実装して現実の業務に反映させたり社員と共有していくのが、"office philosophers" なり "philosophers in business" としてのわれわれの責務であり課題のはずであって、都内の出版社やマスコミにしか目配せしていない一部の無能やパフォーマンス優先の連中が上場企業で客寄せパンダとしてやっているようなセミナーや書籍の出版など、われわれのような哲学者でもあり企業人でもあるような人間から言わせれば、哲学としても、それからビジネスとしても、あんなものは裸踊りにすぎない。