Scribble at 2026-01-16 07:27:21 Last modified: 2026-01-16 12:08:42

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こちらで生成 AI の話をするのは初めてかもしれないが、昨年の7月に新調した自宅のパソコンは、ほぼ生成 AI の専用マシンとして使っていて、現状では SDXL のモデルで画像を生成したり、ace-step というモデルで音楽を生成したりしている。で、たとえば上の画像は "GS | REALISTIC & SEMI-REALISTIC SERIES" という SDXL のモデルを使って、ややレトロ写真風に出してみた風景の画像だ。もちろん、これは「写真」ではないし、「イラスト」でもない。最近だと、香港大学の Elke E Reinhuber が使い始めた "synthography" (Philosophy of Photography, Vol.15, No. 1, pp.173-186) なんていう言い方もあるようだ。あるいは従来の言葉を使って "photorealistic image" と言ってもいい。実際、こういうキーワードでプロンプトを作るモデルも多い。

科学哲学に関心がある人物のアクセスを想定すると、そういう方々には何とかに説法の類であろうが、画像生成 AI が出力するデータは、個々のピクセルに割り当てられた情報の集積と言ってよく、それらの情報は画像の形式として対応できるカラー・スケールの範囲で表されたバイナリ・データだ。もちろんだが、従来のメディア(絵画や写真や印刷物)であっても、「アナログ」などと言われていようが、物理的・材料科学的に均等の単位ではないものの、物質の状態を一定の期間にわたって維持している微小な情報の集積であって、バイナリ・データの画像と比べて何かオカルト的な特徴があるわけではないし、ましてや愚かな人が妄想する「本質的な」美的特性なるものがあるわけでもない。しょせん、芸術や美術のデバイスやメディアというものは、絵の具であれ筆であれ撮影機材であれ、われわれの文化や文明の進展なり展開に応じて考案されている道具との相互作用で成り立っており、どれか特定のメディアや技法が「本質的」であるなどという妄想は、それがプロの芸術家や美学のプロパーにおいてであれば、必ず避けるべき臆見というものであろう。よって、僕は現行の画像生成 AI が手書きの水墨画やイラストレーションなどと比べて「劣った」何か(芸術という範疇で比較するべきかどうかすら怪しいが)であるとか、「本質的でない」何かであるという、三流デザイナーの意見など歯牙にもかけないわけである。ああ、僕自身がそいつらよりは有能なデザイナーでもあるし。

ただ、画像生成 AI というジャンルが勃興期の混乱状況にあるのも確かだ。それゆえ、浅薄な考えのもとで提案される生成プロセスだとか「プロンプト・エンジニアリング」だとか、間違った設計方針のファイン・チューニングなども色々と出てくる。たとえば、よく特定のカメラで撮影したかのような画像を生成するとか、特定のフィルムを使ったかのような画像を生成するといった LoRA を見かけるのだけれど、そんなものはありえない。たとえば DSLR カメラではなくフィルム式の SLR カメラを使って撮影された写真だと、カメラの性能、その場で採用するライティング(あるいは自然環境)のセット・アップ、フィルムの特性、そして現像のテクニックや方針によって成果物の表現が決まるので(もちろん、ここから更に写真をスキャンして、敢えてデジタル・データとして Photoshop などでレタッチする人もいる)、フィルムだけとかカメラだけの特性を取り出した LoRA というアイデアは、それをトレーニングするために成果物としての写真データを使っているなら、ceteris paribus つまりカメラや現像テクニックまで正確に条件として一致させているわけでもあるまいし、これは全くのナンセンスだ。

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