Scribble at 2026-01-15 07:56:32 Last modified: unmodified
会議の話を聴いていて、これは前職からなのだけど、いまいち理解できないところがある。たとえば、経営会議で営業部長や EC サイトのディレクターが、12月や1月の売上が低いという結果について、毎年のように「年末年始だったので」という言い訳をする。でも、12月や1月に年末年始の休暇でビジネスが停滞することは、それこそ500年前でも分かっていたことだろう(産業の規模ではともかく、500年前の小売商でも知っていたことだ)。こんなことは毎年の慣習に関わる、どう考えても事前に分かる筈の状況や変化なのだから、年末年始の期間は営業活動の代わりに「年末年始にしかできないこと」をやるとか、あるいは年末年始であろうと12月や1月の業績を維持するために特別な(しかし年単位では恒例になるはずの)アクションを実施するとか、それを決めて実行するのが営業マンであり、なかんずく彼らをリードする営業部長の仕事である筈だ。なんで毎年のように、最初から分かっているはずの事態に準備も対応もできず、営業成績が悪かったのは「年末年始」という巨大怪獣が出現したからだと言わんばかりの言い訳をするのか。
実は、何も考えていないのだとしか思えない。
そう推定すると、確かに巷の書店にマーケティングやセールスや「演繹革命」などと称するロジカル・シンキングの本などがあふれているのも理解できる。これは僕の持論だが、人は自分にないものをこそ声高に主張したり求めるものだ。「和を以て貴しと為す」のは、当時の我が国が政治抗争に明け暮れていたせいだし、遠い島国で「ジェントルマン」だ騎士道精神だなどと言うのはもともとイングランド人が野卑だからであり、フランスが高級文化を育んできたのは下衆でスケベなラテン野郎ばかりだからである。それこそ現代においても、自由だなんだと言っているアメリカの大統領が最も恥知らずな帝国主義者であるのは言うまでもない。また、東アジアの辺境地帯で異世界転生作品が大量に溢れていたり、あるいは「哲学」と称する愚劣な読み物に描かれたイージーな処世術や自己啓発フレーズが書店に山ほど並んでいるのも、なんだかんだ言って多くの人々の渇望を反映しているのである。
これらと同様に、なんでマーケティングやセールスや勉強法などの本が書店にあふれているのかというと、簡単な話ではあろうが、実は大半のマーケティングや営業マンはマーケティングや営業の基本的なスキルすらないからだ。典型的な錯覚だが、営業とは口八丁のことだとか、あるいは属人的な外見など、何の勉強も訓練もなしに大学や高校を出た直後に稼げるような妄想を抱いている者が多い。それから、会社に入って研修を受けたり OJT で同行すれば仕事ができるようになると錯覚している人も大変に多いのだが、実際には座学で暇潰しに他人の話を聴いたり、同僚や上長と一緒に客先へ足を運んだくらいで仕事ができるようになるものではない。
自分で仕事のなんたるかを考え、そのために必要なことを学んだり調べたり考えることで、つまりは与えられたタスクを消化するだけにとどまらず、そこから先へ行こうとする意欲がなければ、事前に何かをしようという発想がそもそも出てこない。すると、与えられたタスクの範囲でやれることしかできないようになって、年末年始にも同じことを続けて、翌年の会議で同じ言い訳を口にするという「凡人の様式美」に落ち込んでしまう。それではサラリーマンとしては三流である。