Scribble at 2026-01-12 08:32:01 Last modified: 2026-01-12 08:46:01
というわけで、本年はそろそろガチで日本が周辺各国の紛争に巻き込まれる可能性が高まっているため、もちろん別の国へ逃げるつもりはないし、そんな金もないわけだが、ひとまずは気分としての心構えは備えておきたい。何度か言っていることだが、社会科学というものは研究者の価値観や理想などが反映されざるをえないし、それでいいと思うので、逆に言えば社会科学をやっていて、自分が良かれと思うことを押し進めるだけの力がない理屈を弄んでいるのは、文字通り自己欺瞞というものだ。
したがって、ここから明らかな話として出てくるわけだが、僕はもう殆どアメリカの「ナウい」社会科学というものを(リバタリアンの御託はもちろんだが、フェミニズムだろうと黒人解放だろうと PC 関連のあれこれだろうと)信用しかねる。なんだかんだ言っても、最後の最後は力でねじ伏せられてしまうからだ。いまや、21世紀に入って新しく登場した「アメリカ民主主義帝国」という奇っ怪な国家で社会科学をやってる連中が、ライフルを持った白人の気違いを怖がっているのか(もちろん、そういう状況にしないための予防も社会科学に求めるべき成果というものだろう)、何にも大規模なメッセージを発していない事実を見るだけでも、もうあの国の社会科学に真の思想的な力はないし、たぶんもともとなかったのであろう。そして、そういう国の事実上の庇護下に置かれている、Japan とか呼ばれている風俗国家においても、リベラルと称する人々がどれほど記者クラブなどで威勢のいいことを言ったり、あるいは岩波書店から高額な書籍として出版して「社会貢献」しようと、そんなもんは誰にも届かないわけである。
だが、個々の研究者には学ぶべきことがたくさんある。それは、この東アジアで更にセコいことをやっている国の社会科学者にしても同じだ。なので、どのみち脆弱な営みではあっても、学ぶに値するところを拾い上げていく他にないのだろうと思う。少なくとも、せっせと日本語に翻訳して素人にまで紹介するほどの値打ちはないというだけのことだ。プロパーは、もちろん哲学にも言えるが、そんなことをする暇があったらさっさと自分の成果を出すことである。
つまり、大学の教員は自分のゼミや講義で直に学生へ語りかけたりするべきであって、いまやインフレで殆どの勤め人の給料が(NHK のインチキ統計はともかく)上がっていないのに、1冊6,000円の翻訳書なんて誰も買わないわけである。いや、もともと買わないけどな。あるいは、ビキニ・アーマーの幼女を表紙に描いたような「哲学入門書」だの「サバイバル哲学」だのドゥルーズがどうしただのといった本を1,000円ていどでバラ撒いたところで、結局のところは役に立たない。そして、役に立つことが重要なのかどうかと問うている状況でもなくなるのだ。僕は哲学者である前に社会人だし日本の国民であるからして、その手の優先順位を保守の人間として取り違えることはないが、さりとて反知性主義のようなゴロツキでもない。