Scribble at 2025-12-07 09:38:25 Last modified: unmodified

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コナンのワン・シーンらしいけど、確かにそういう例はたくさんあると思う。作品全体、あるいは1話だけでも、全てのシーンに集中してクォリティを過去よりも更に引き上げるなんていう芸当は、はっきり言って凡庸なスタッフが一人でもいたらできないことだし、そういうことを幾らでもできるわけでないという限界があるのは、こういうアニメーション作品が予算と納期が限られている「商品」であるという事実から誰でも予想はつくことだろう。もちろん、映画のように制作期間が長い作品でも、同じことが言える。

そして、これはもちろんアニメーションだけではなく書籍にも言えるし、演劇だろうと、あるいは工場で作ってるネジ一つについてだろうと、厳密には同じことが言えると思うんだよね。そういうわけなので、常に新しい作品が過去の作品よりも高品質で進化しているなんてのは、はっきり言って幻想だし錯覚なのだ。伝統芸能や伝統工芸、たとえば歌舞伎とか落語とかコケシや扇子の制作にも同じことは言えるし、当サイトでわざわざこういう話題を取り上げている時点で何が言いたいかはプロパーには自明だと思うが、哲学書なり哲学の翻訳書においても、同じことが言える。

そもそも、新しい世代の使う言葉の運用が過去の世代の日本人が使っていた言葉の運用よりも「真理に迫っている」かのような、深刻で情けない錯覚を哲学の教員が学生に与えては絶対にいけないのであり、これは自分がどういう言語哲学や思潮を支持していようと多くの人々に受け入れられるスタンスであろう。

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