Scribble at 2025-10-02 20:58:11 Last modified: 2025-10-05 14:01:15
生成 AI に関連して、たびたび(わざとなのか)ミスリードな「丁寧な解説」を X に連投してインプレッションを稼ぐ連中がいるんだけど、そもそも「著作権法はクリエイターを保護するためだけにつくられた法律ではない」ということが分かっていないか、わざと無視してるんだろうと思う。だから、何回でも同じ話で騒いでは、冷静に指摘する人が出てきたところで、顔を真赤にしてる自称クリエイターが叩き潰してしまうということの繰り返しになっている。なんだかんだ言っても、こういうことを続けて得をするのは、専門家ヅラしてミスリードな法律解説をしてる連中だけなんだってことが隠されてしまう。あいつらは小銭稼ぎのためにやってるわけで、日本のクリエイターのために解説してるわけでもなければ、ましてや女性キャラのレイプ漫画をイベントで販売してる変態どものために投稿してるわけじゃないんだよ。
知識や情報や報道や芸術なり言論の活動というものは、それらが公に誰かに向かって表されている限り、それらが相手に(有償だろうと無償だろうと)受け取られて利用されることを前提にしていなくてはいけない。もちろん、その大半は「楽しむ」とか「学ぶ」とか、あるいは無意識に影響を受けることまで含められるだろう。そして、利用された結果にはオリジナルの発信者の権益を損なう場合があるので、法令で権益を保護しようというのが著作権法の立法意思である。イラストや映像にしても、著作物自体は保護するが著作物を制作するためのスタイルや技法やコンセプトは保護しないという二分法が採用されているのも、後者を他人が利用できなければ、芸術表現の普及や伝播や学習などが一切できなくなり、つまりは芸術表現の共有や継承が不可能となるからだ。すると、きみたち都内のインチキ左翼が大好きな多様性とやらも発展しないわけである。
全ての芸術表現や制作手法が、北斗神拳や陸奥圓明流みたいな一子相伝となれば、そのうち途絶えるにきまっている(伝承者が敗北して死亡しても必ず次の伝承者が何らかの事情で生き残る武術の流派なんて、それこそ漫画だけだからだ)。すると、人類の文化が発展するかどうかは、過去の事例と同じか違うかはともかく、一から再び誰かが思いついたり成就させるかどうかという偶然に依存することとなる。仮に、分析哲学と呼ばれている思考や研究のスタイルが、誰の発案なのかは知らないし、個人的にはどうでもいいことだと思っているのだが(フレーゲなの? ラッセルなの? ウィトゲンシュタインなの? 僕にはどうでもいいことだね)、仮に特定の誰かだったとして、その人物が許可した人間でなければ「分析哲学する」権利がないとすれば、いったいいま都内で無数の碌でもない論文を書いている諸君は、他に何をすればいいのだろうか。代ゼミの講師にでもなるか、あるいは歌舞伎町でホストやホステスでもやるのかね?