Scribble at 2025-09-26 08:00:37 Last modified: 2025-09-26 08:12:49
なかなか蔵書の整理は進んでいない。数カ月ごとに段ボールで2箱くらいの割合で古書店へ引き取ってもらっているのだが、どういわけか本が減ったという印象はない。もちろん、そのあいだにも新しく本を買ってくるからいけないのだが、買ってくると目立つところへ置くのが当たり前だから、どうしても身の回りに本が常にあるという状況を維持してしまうため、いつまでたっても本が減ったように思えないのだろう。
・・・などと冷静に解説している場合ではない。
ありていにいって、僕のような勉強や知能としては凡庸な者が、あとどれくらいかはともかく、残された人生のあいだに読める本なんて、どう考えても現状の蔵書よりも遥かに少ないはずであり、そして何度か手に取るであろう本(もちろん、辞書もその一種だ)も含めたら、せいぜい蔵書の半分が限度だろう。とは言っても、どれくらいかは他人にはわからないと思うが、仮に数年前のようにビジネス書を1日に1冊か2冊ほど読んでいた頃のペースを想定すると(もちろん、これは新書や文庫と専門書との平均だ。『純粋理性批判(上)』のような本を1日で読破したところで何になろうか。そのていどには、僕も古典を権威として認めている。僕が認めていないのは、凡庸な読書感想文にすぎない多くの古典研究の類だ)、僕が仮に80歳まで生きながらえて、最大で1日に1冊の読書を続けられる知性やモチベーションも維持できていたとして、雑に計算すると8,000冊くらいとなる。
・・・え? 蔵書の数を超えてるんじゃないか・・・なんだ、古本屋に売る必要なんてないじゃないか。
問題は、そのペースでちゃんと読み、そしてその成果を自分なりに得られると納得できるかどうかだ(当たり前だが、その成果をブログ記事に書いたり、本として出すなんて義理も責任も意欲も、僕にはひとまずない。哲学なんて、結局はプライベートな思索の別名であって、それがプライベートではない言語を用いるという皮肉はあるが、最後の最後は他人なんてどうだっていいのだ)。