Scribble at 2025-08-18 10:52:17 Last modified: unmodified

前世紀と言うのは大袈裟だろうと思うが、神戸大に入って情報処理センターのワークステーションを使えるようになり、Windows NT で動く Message Manager や Netscape Navigator といった古典的なソフトウェアを使いつつ、Stanford Encyclopedia of Philosophy や巨大素数のサイトなどを眺めていた。その頃から、何人かの哲学教員が大学に個人のサイトを開設していたし、今世紀に入るとドメインを自ら取得してサイトを運営する人まで現れるようになった。その多くはプロモーションという目的があって、いわばオンラインの CV というのが運営の実態であったと思う。そして、ブログが流行り始めてからは、短いエッセイを掲載したり自著のサポート・サイトを兼ねるという用途でもウェブサイトを利用するプロパーが増えていった。みなさんが現状で科学哲学の(特に英語圏の)プロパーについてウェブサイトで読めるリソースの運用方針は、少しずつ変わったり拡張したり多様な使われ方をしている。そして、おそらく僕も含めたアマチュアについても似たようなものだろうと思う。

そして、そうしたウェブサイトに共通しているのは、もちろん当人が亡くなれば(当人が運営しているという体裁のサイトならもちろん)ウェブサイトは閉鎖されるということだ。Internet Archive などにキャッシュが保存されることはあろうが、そういうことを無条件に仮定して議論することはできない(実際、Internet Archive は多くのメディア企業や出版社などから訴えられている)。原則として、当人の事績は他人が敢えて保管したり保存するのでない限りは、いわば「遺品整理」されるのが道理であって、自分の残したメモ帳やペンが博物館に保存される(べき)などと期待したり要求して残していくほど自惚れた人間が哲学者として有能であった試しはない。

で、僕はそのような話題について自分のこと、つまり当サイトをどうこう語るような立場にないし、それに見合う業績もない、ぶつくさとこうして雑文を書いているだけのジジイなわけだが、「お名前.com」へドメインを移管したばかりだというのに、そろそろドメインを手放そうかと思い始めている。そして、このサイトのコンテンツも、そろそろ MarkupDancing に統合しようというわけだ。

理由は幾つかある。まず "philsci.info" というドメインは、どこかの科学哲学系の学会なり大学の機関が使う方が相応しいような気はしている。英語圏の大学ですら HPS の学科を "philsci" と略していなかった頃から、ハンドル・ネームとして "philsci" という表現を30年近くは使い続けてきた者として、それなりにオンラインでは優先権を主張して良いていどの経歴はあるわけだが、やはり個人のサイトで使うのは、いまとなっては事情を知らない若者の「アマチュアの黄色いサルごときが科学哲学の略称を騙って、なにをするものぞ」という軽い人種差別を引き起こすだけであろう(言っておくが、これは敗北主義でも逆差別でもなく、たいていの、しかも哲学をやっていると称する欧米人の「事実」だ。僕の40年近くの経験から言えることとして、哲学することで公平になったり善人になったりするわけがないのである)。

二つめに、メインのサイトと「哲学の」サイトという区別をする必要を感じなくなってきたという事情もある。結局、どちらのサイトでも素性は明かしているし、ものを書くスタンスが変わるわけでもない。甘えた素人には容赦しないし、無能な学者にも容赦しないという姿勢は、科学哲学を取り上げていようと、画像生成 AI を取り上げていようと、老眼鏡を取り上げていようと、何にも変わらないわけである。もちろん承認欲求のためにサイトを運営したりコンテンツを公開しているわけではないから(他人に承認してもらわないと意義が分からないような生き方をしているつもりはない。僕のようなタイプのナルシストというのは他人の承認など関係ないので、自意識プレイする必要などないのだ)、色々なコンテンツはあれど、それらを「河本孝之のコンテンツ」としてまとめるという意図もない。ただ、匿名でいいと思うわけでもないから、プロフィールもあわせて公開しているわけである。

そして三つめのマイナーな事情としては、何度か書いているようにドメインの維持費が高くなってきている。

最後に、実はこれがだんだん動機として強くなってきているのだが、ウェブサイトの運営そのものについて、そろそろいいかなという気分になってきている。もちろん、営業や小遣い稼ぎや売名でサイトやブログを作っては、反応がなくて意気消沈する素人とは違って、前世紀(1999年)からウェブサイトを運営している者として、他人あるいは後の世代に伝えるようなものは、こういう雑文ではなくて、僕自身の投票行動だったり、会社での仕事だったり、あるいは哲学のような営為についても KDP などを利用して電子書籍を公開することくらいで十分だろうと思う(もちろん販売するかどうかは別の話だ)。僕自身がそういう生き方をしているように、哲学は大学教授としてやるのが「もっとも相応しい」わけでもなければ、最適な条件であるとは限らない。もちろん、「独立研究者」などという(職責をもたずに出版社などから注目してもらえるスタンドプレイがしたいという)スケベ根性が見え見えの連中が相応しいなどとも思っていない。しょせん、サントリー財団や何とか賞の団体から評価してもらって、筑摩書房や岩波書店あたりから単行本を出したり、政府のなんとか委員になるというキャリア・コースを描くだけの小賢しい連中に、数学であろうと仏教であろうと、まともな思想など語れないし、口先で素人受けするフレーズを並べても、彼らの著作など10年もすれば BOOKOFF の店頭ワゴン行きだ。とはいえ、僕自身がウェブのコンテンツに多くを学ばせてもらったのは事実だし、(残念ながら日本は皆無なので)海外の膨大な量の文献にいまでも大変な恩恵を受けているのは確かなので、誰かの役に立つコンテンツを一つくらいは残してサイトを閉じたいと思っている。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


共有ボタンは廃止しました。他人へシェアしてる暇があったら、ここで読んだあなたが成果を出すべきです。