Scribble at 2025-07-18 15:13:43 Last modified: unmodified

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長谷川 直之 (2025) 天気予報はなぜ当たるようになったのか

趣旨のわからないブログ記事だ。以前から RSS をフォローしているけれど、いまだに何のつもりでサイトを運営されているのか、いまいち理解できないところがある。まぁプロパーなんて変わり者(発達障害とまで言えるかどうかはともかく)が多いわけで、こういう意味不明なことにこだわりをもつことも学者の「タレント」というものなのだろう。もちろん差別したいとは思わない。だが、破滅的な事故や災害が起きたら、よく理数系の経歴をもつ小説家とかが科学者のサバイバル力を過信してキャラ設定してるけど、こういう本質的なことから逸れてアノマリーなことばかりに固執するタイプの人は、実際にはまっさきに死ぬと思うんだよね。もっとも、哲学者として言えば、まっさきに死ぬのが「いけないことだ」という十分な根拠はないわけだが。だって、人間なんて生まれてから0秒後に死ぬか(死産とも言うのか)、あるいは80年くらい経過してから死ぬかの違いしかないわけで、宇宙論的・地質学的なスケールで言えば大した違いではない(もちろん、当サイトで公表している論説の趣旨から言えば、だからといって、死ぬことなど何でもないと強がっても仕方ないわけだが)。

余談に余談をつなげてしまったが、まずこの記事で取り上げられている本のタイトルは、僕には loaded language だとしか思えない。つまり、「天気予報はなぜ当たるようになったのか」というタイトルは、「天気予報は当たる」と言っているに等しいわけだが、ここ5年くらいの梅雨入りや梅雨明けにかんする明白な過ちだとか、あるいは個々の日付について報道されている予報が大して当たっていないという僕の印象は勘違いだとは思えないわけである。よって、「当たるのはなぜか」という問いは「当たる」という、事実に反する前提でつけられたタイトルであり、とても容認できない。したがって、このようなタイトルをつけた著作は、気象学や観測網の行政的・政治的な正当化という官僚的な下心で書かれているとしか思えないわけだ。著者が官僚なのか、あるいは気象学関連で莫大な助成を受けて研究しているのか、あるいは気象予報士の「芸能プロダクション」などと囁かれている気象系のベンチャーで働いている人物なのかは知らないし、はっきり言って興味もないが、まぁ手に取る気は起きないな。

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