Scribble at 2025-07-04 12:49:55 Last modified: 2025-07-05 07:37:28
そういや、昨日の昼にジュンク堂は梅田店へ行ったとき、ひとまず哲学の棚も見たのだった。そこで、薄い単行本として一ノ瀬氏が監修されたという『確率の哲学』という本が出ているのを知って、もちろん手にとってはみたのだが・・・まぁ見たことがある人はご存知のとおり、僕もげんなりした。ふだんから「東大暗記小僧」と書いてはいるけれど、実際に東大に開成や灘から行くような人々の多くは暗記だけの勉強じゃない、それなりに素晴らしい才能をもつ人々であることは知っている(同級生に何人もいるから、必ずしも真面目な高校生ではないと思うが)。でも、このような出版物を見せられると、そういう藁人形みたいなものが実在するかのように思えてしまうから残念だ。
簡単に言えば、この本は確率や統計にかかわる哲学っぽい話題を、それこそチャート式の参考書にある「チャート」の部分だけ集めたような本だ。ぶっちゃけで言うと、これは教科書なんかではなく、ただの講義メモを印刷しただけだと思うね。もちろん、何事かを言語で伝達するのに「論述の体裁」になっていないといけないとか格調がないなんていう愚かな偏見は持ち合わせていないけれど、これはいかにも駄目だと思うね。ケアマネージャー資格の受験テキストに付録として掲載されている「暗記カード」の方がマシだと思う。
僕が大学を出てから30年近くが経つわけだけど、結局のところ確率や統計の哲学については、まともな本が数えるほどしかない(もちろん、「数えるほど」というのは数学的な「可算の」という意味ではない。それだと無限個あっても論理的には正しいからだ・・・もちろん、これは「ネタにマジレスするネタ」という冗談だが)。しかも、翻訳を含めてすら10冊にも及ばないだろう。国内の研究者が書いた単著ともなると、松王氏と大塚氏の本くらいしか数える気になれないのが残念な限りではある。そして、それらについても、僕が求めている確率の身分を問うような議論は、かなり弱いという印象があって、正直なところ解釈を並べられても困るというのが本音だ。なぜなら、「解釈することで何とか理解したり利用できる実在」の話をしているのか、それとも確率とは「解釈によって人の知性の範囲内で成立するだけの作り事」のことなのか、そういうところの議論まで進んでいない気がするからである。これは因果関係について取り上げている著作についても同じことであって、現象論を精緻化するだけならジュディア・パールのような研究は十分に有効だろう。でも、DAG で描いているグラフの存在論は? となると、数学者でも「そんなもんどうでもいい」と切って捨てる人は多いというが(彼らは哲学することを怖がるらしいので)、統計学だとか、あるいは昨今の機械学習なりベイズ統計学でも、出版や議論や実装あるいはビジネス化すら流行してはいても、「確率とは、そもそも何ぞ?」というテーマに興味があると思える研究者はいないんだよね。ましてや、確率と因果関係を組み合わせた議論の存在論的なステータスなんて、どうだっていいという人が(日本では)大半なのだろう。ということで、見込みがない本を出版するのは無謀な投資というものなので、出版されない。もちろん、昨今の研究者は自分のブログで数百ページの教科書をリリースしてたりするのだが、日本の研究者にそれを期待するのは難しい。
かといって、たまに出版されたらこんなもんというのでは、なんとも困ったことである。