Scribble at 2025-06-28 09:40:13 Last modified: 2025-06-30 10:13:44
およそ70年ぶりにローマ字の表記の見直しを検討している文化庁の審議会はこれまでの「訓令式」ではなく、多くの人が慣れ親しんでいる「ヘボン式」に基づく表記を採用するなどとする答申案をまとめました。
外来語も含めてローマ字表記は混在しているから、基本的な表記、とりわけ日本語のローマ字表記をヘボン式とするのは(少なくとも僕にとっては)良いけれど、混在している状況がどうなるかは分からないし、それが「良い」ことかどうかも自明とはいえまい。いまさら "Tokyo" や "Osaka" の長音を正確にローマ字表記へ反映させてスペリングを変えても、逆に混乱が生じるだけかもしれない。
ただ、そもそも日本の高校までの国語教育で、こういう内閣告示・内閣訓令にあたるローマ字表記を体系的かつ継続して教えてきたのかという気もする。うちの母校は国立だが、中身は民青なので(笑)、こんなもんに従う教員なんて殆どいなかったわけで、内閣告示・内閣訓令どころか教育指導要綱すら「研究」の名において無視していたから、これは不文律のようなものだが、僕らは特に大学受験の勉強は予備校でするのが当然と考えていたし、勉強の進み具合なども通っている代ゼミや河合塾など色々な予備校の情報を学校で共有するのが当たり前だった。学校の授業は、殆どの生徒にとっては予備校でやっている勉強の「復習」か、あるいは課外学習であった。ちなみに、僕は塾や予備校には一度も通っていないが、うちの母校はそんなもんに通わない生徒でも偏差値70くらいはある。殆ど学校に行かなくて受験勉強もしておらず、全ての教科で出席日数や定期試験の点数が足りなかった僕でも偏差値は68くらいあった。なお、僕は大半の教科でリポートを書いたり補講を受けて卒業したが、たぶんどの教科のリポートも早稲田や慶応クラスの卒論に匹敵するレベルだったと思う。だって、高校生にそういうレベルの課題を出してくるような学校なんだから。
また、哲学のプロパーは自覚があるように、きみらは教員試験も受からずに大学で教えているアマチュア教育者なのだから、文科省や文化庁のサイトで教育要項や告示・内閣の類など見たこともないだろう。したがって、外来語や日本語の語句をどう表記するかについて、特段の方針も見識もあるまい。それは、「言語分析哲学」を標榜している人々ですらそうなのであって、こういう妙な状況(本末転倒とは言わないまでも)が平気で半世紀以上も連綿と続いているのが、この国の大学教育なのである。
あるいは、学術研究の団体としてスタンダードを打ち立てるべきなのは、いまや学術研究が良い意味でも通俗化した状況にあって、アウトリーチというコンセプトのあるなしにかかわらず、言葉の表記について何らかの基準を学会で議論してもいいとは思うし、そうしておくべきでもあったろう。いまだに「分析哲学辞典」や「科学哲学辞典」の類はないが、簡単な用語辞典の類を学会のサイトで掲載するべく委員会をつくるといったことをやっても良かったわけである。ていうか、こんなのインターネットがあろうとなかろうと30年くらい前にやっとけよと思うがね。俺なんかは。なので、ローマ字表記の方式が統一あるいは指定されたのを機に、タイミングとしては必然的でもなければ哲学的な理由などまるでないわけだが、そういう表記の検討はやってもいいだろうと言いたい。
ちなみに、いまでは稀と言ってもいいだろうけど、長音の母音を表すのに文字の上へ「マクロン」と呼ばれる線をつける表記があるじゃん。あれ、確か小学生の頃に教わった覚えがあるのだけれど、僕のように小学校に入る前から親の影響でタイポグラフィの良し悪しを判断する習慣がある子供からすると、耐え難いほど醜悪な表記で頭にくるんだよね。ヘボン式だとマクロンを使うので、これが復活するのかと思うとやりきれない。本当に嫌だ。あんなの日本語の表記に使わないでほしい。そもそも「大阪」や「逢坂」は "オーサカ" なんて発音じゃない。