Scribble at 2025-06-08 09:55:09 Last modified: 2025-06-08 09:55:49
別に年寄りだからって若者が聴いている流行の曲を無視しているわけでもなければ毛嫌いしてるわけでもないけれど、しょせん一過性の曲というのはそれだけのものでしかないわけで、どのみち後世まで残らないと分かってるような、いかにも浅薄な曲は聴く必要がない。それは、ポップスだろうとジャズだろうと演歌だろうと同じことなのだ。
なので、当世の曲などもテレビ番組やら音楽番組やら、それから街中で店内に流れていれば聴くわけだけど、やはり時代やプロモーションの競争を勝ち残ってきた曲、つまりは懐メロとして流されることが多い曲との比較では、現在の単なる流行歌の方が不利なのだ。
それから、同時代に流行する曲というのは、どうしてもスタイルが似たようなものになってしまうので、生き残ってきた曲と比べてワンパターンに思えてしまう。たとえば、ここ最近の日本のポップスで流行っている曲なんかは、音楽番組でも Spotify でも自分で特に選ぶこともなく聴くことがあるけれど、とにかく安易で頻繁な転調をする曲が多いし、転調しないまでもミックス・ボイス(ファルセットを頻繁に挟む)の歌もやたらと多い。これは、YouTube などでボーカロイドが流行してから、合成音に難しい唱法で歌わせていたのが生身の人間でシミュレートする技能を競うようになったからだろう。なので、こういう転調に対応する歌唱やミックス・ボイスの激しい高低に対応する採点ゲーム的な歌唱力ばかりが持て囃されるようになったのである。
もちろん、流行しているあいだはそれでいいが、そんな流行だけで続々と配信されている曲が残るわけもない。僕らは半世紀近くが経過しても尾崎豊の曲を聴いたりできるが、半世紀が過ぎてから Ado や Mrs. Green Apple の曲を覚えている人がどれほどいるだろうか。