Scribble at 2025-06-06 19:03:34 Last modified: 2025-06-19 18:10:09
ドゥルーズの『差異と反復』は、ずいぶんと昔にポモが流行っていた頃に、スクラップ・ブック風の奇怪な装丁(河出書房だけでなく、青土社や哲学書房などでも採用していた。同一人物の装丁なのかは知らないし、装丁もつくれるデザイナーとして言わせてもらうが、興味がない)も流行っていたころの単行本は見たことがあったけれど、それから河出文庫に上下分冊で収められているのは知らなかった。未読であったことと、改めて目次を眺めているだけでも興味深い議論をしていることに気づいて、一読してみる気になった。
だが、どこの大型書店にも河出文庫は上巻しか置いておらず、下巻はない。アマゾンで検索すると、下巻だけが異様なプレミアで転売の対象となっており、違和感を覚えた。よくある理由としては、NHK のインチキ教養番組とかで取り上げられて、冷やかしに上巻だけ買った人が多く、上巻だけ増刷したという場合だ。本来なら下巻も合わせて品切れに近い状況であったのが、上巻だけ売れるものだから出版社が上巻だけ増刷してしまい、結果として上巻だけ書店に並ぶというか残ることになったのかもしれない。この手の分冊になっている大部の書籍がマスコミなどで取り上げられると、前半だけ売れて後半は売れ残るということがよくあるからだ。そして、上巻を買ったはいいが下巻はもともと品切れだとすれば、下巻を求める人がいると分かれば、テンバイヤーというのは何でも買い占めてプレミア価格で出品する。こうして、アマゾンでは下巻だけが正規の価格の2倍や3倍などという値段で並ぶことになる。
もちろん、こんな値段で僕が買うわけはない。図書館にあれば借りるかもしれないし、通読するとしても1992年に発行された初版と文庫版とで大きく(そして決定的な誤訳があるといった)違いがなければ、初版の一冊本を買ってもいい。古書店のサイトでは表紙がないとか焼けているといったコメントが掲載されているが、表紙が千切れていようと同じことである。
それに、負け惜しみのように見えるかもしれないが、そもそもが読めなくても別に構わないのだ。或る一冊の書籍が人類の知恵や理解を根本的に刷新してしまうようなインパクトをもつなんてありえないのであって、その一冊を読まなかったせいで僕の考察や思想が致命的に間違ったり歪んでしまうなんてリスクを想定したり計算して、そのリスクを低減するために有意義な選択ができるという合理的な理由はない(「本をたくさん読んでお勉強するのが偉い」みたいな小学生並みの議論に付き合いたい人は、せいぜい都内の出版社と一緒に思想家ごっこしていればよい)。だいたいがだね、表現力や理解力において書き手と読み手の双方の知性や状況に依存するような、生物ごときの言語という能力・機能・現象にそんな力はないのだ。そういう力があるかのような帯のフレーズを出版社との付き合いで書いている、都内や京都のインチキ哲学プロパーですら、内心ではそんな・・・哲学者として学部以下のレベルの恥ずかしい妄想など抱いていまい。それこそ、ドゥルーズに鼻で笑われるであろう。
それに、現実を見れば分かるように、ドゥルーズのあれを読んだの、クワインのこれを読んだのと、自意識過剰な自己宣伝をするやつは履いて捨てるほどいるものだが、結局のところそれでどんな業績を挙げたのかと小学生に質問されても何の満足な回答もできない者が殆どだろう。たとえば、カントの『純粋理性批判』を読んで東大教授になりました・・・で? それはそれで世間的にはなかなか難しい成果とは言えるだろうけれど、でもそれはそれだけのことだ。東大文学部哲学科の教授になったところで、米の値段一つ下げられまい。せいぜい岩波書店の編集者から「知の巨人」などとおだてられてクズみたいな本を量産して、定年退官の前後に10年も経てば大半の図書館で書庫に積み上げられるか除籍処分となって古本屋の投げ売り商品になるような著作集を出した後にくたばるのが規定コースだろう。なので、こういう読書は自己満足以外の何物でもなく、したがって自己満足としての優先順において特段の重要性がなく、読んでおこうかなといった趣味的な動機で関心をもつていどのものであれば、好きにすればよいのである。もちろん、そういう動機で手に取った読書からなにがしかの得るものがあってよいし、それを期待することを冷笑しようなどとは思っていない。だが、他のなにを措いても手に入れて読まなくてはいけない本などというものは、それが自分の勝手な期待や思い込みであったとしても、そうそうあるものではないし、そういう本があるはずだという青い鳥症候群や「人生を変える一冊」という妄想にとりつかれるような無能は、最初からこっちは相手にしていない。
[追記:2025-06-19] 余談として、既に『差異と反復』は上下巻を手に入れている。大阪市内で僕が頻繁に利用している10店舗ほどで確認した末に、ジュンク堂の天満橋店に置いてあったからだ。もちろん即座に読み始めるわけではないが、当然ながら死ぬまでに一読はしたいと思っている。