Scribble at 2025-06-04 10:27:38 Last modified: 2025-06-04 19:00:41
これまでに何度か書いてるけど、解説に適切な論証がない、いわば「行間を読む」とか「数学的センス」とかいった盲言でまともな教科書を書こうとしない数学者に反吐が出るという話をしている。もちろん、これは僕がディスクレシアだからという可能性もあるが、少なくともディスクレシアの疑いがある人間でも国公立大学大学院の博士課程に進学できるていどの見識はこうやって実例があることでも分かるように積み上げられるわけなので、単独の教科について学習に困難があるからといって例外的だと掃き捨てられるとは思えないのである。こういう話を書いていても、まだ良くわからないという数学者は多いらしく、それゆえ100年以上にも渡って愚劣な教科書が山のように出版されてきたわけなのだろう。どっちが認知障害なのか分かったものではないが、とりあえずこちらに何らかの不足があると仮定してやってだな、具体的で簡単な例を挙げると、次のようなものがある。
僕は松坂和夫氏の教科書には良いものが多いと思っていて、いわゆる precalculus に相当するものから『代数系』のような大学初等レベルの教科書に至るまで、随分とお世話になってきている。いっときは Google Plus でやりとりさせてもらった、OpenID Foundation の理事長であり NRI にいた崎村さんも、一橋大学で松坂氏に教えを受けた一人だったらしいと知って、なるほどと勝手に合点したものだった。なので、松坂氏の著作を愚弄する意図はないわけだが、やはり数学の教科書によくある、「こんなの誰でも分かるだろう」的な飛躍した解説の例を見受ける。
たとえば、『線型代数入門』(岩波書店、1980)の18ページに出てくる、二つの位置ベクトルにおける内分点の位置ベクトルを求める例題だが、これはもちろん中学などで習う「内項の積は外項の積に等しい」という法則を利用しており、この箇所では当然のように議論が進むので、この法則を知らないか忘れている人はもちろんだが、知ってはいても推論として当然ではないという、推論の欠落にイライラさせられる僕のようなタイプの人間(もちろん、みなさんから見れば「欠陥人間」なのだろう)にとっては、こういう記述は画竜点睛を欠くどころか、公衆便所でチャックを下ろさずに小便しようとするようなものだとしか言いようがない。
もちろん、こういうことをそれこそ中学や小学校で教えられる事項から丁寧に積み上げられるとしても、日本の出版社にそれだけのページ数の教科書を出版する余裕がないのも分かるが、世の中を眺めると、特にアメリカでは有志の研究者や学生が出版社の財務状況など無視して、自力で教科書を書いて PDF などでリリースしており、分量が圧倒的であることはもちろんだが、クォリティも正規の商業出版社から発行される教科書に匹敵するものが続々と無料でオンラインに公開されている。また、こういうゲリラ的な出版物によくある「査読を受けていない」といった決まり切った批評を嘲笑うかのように、フリーでリリースされている PDF を査読する研究者も増えているし、ご承知のように GitHub などで草稿を公開して、数百人の一般人の査読も受けている(もちろん読むのはプロダクトとしての教科書のユーザである一般人なのだから、彼らユーザの見識の範囲で査読して悪いわけがない。学術論文ならともかくとして、教科書の査読を peer review だけでよしと考えるのは単なる思い込みにすぎない)。
また、上記のような推論のスキップをできるだけなくすとは言っても、「外項の積は云々」を推論に追記するだけの目的で、ユークリッド『原論』の第5巻命題16を引用するほどのことはないわけである(まさか、この規則の原点が『原論』だと知らない数学のプロパーなんていないと思うが、念の為)。だが、せめて短い注釈を残すくらいの配慮は、プロダクトとしての教科書を他人に買わせて読ませるのであれば必要だと思う。学術分野の教科書に PL なんて概念は不適当だと思うかもしれないが、その甘えこそが商業出版のレベルを一定のレベルで停滞させている一因ではないのかと思う。怠慢を放置してグズグズしているうちに、日本の商業学術出版のレベルなんて、そのうちタジキスタンやカンボジアの出版業界に追い越されるだろうと思う。