Scribble at 2025-03-27 08:40:37 Last modified: 2025-03-27 12:08:47

先の落書きでアマゾンのインチキなレビューについて少し書いたのだが、哲学の学生さんや、哲学あるいは思想書全般について関心をもつ方々に、同じアマチュアからではあるが、僕はいちおう国公立大学の博士課程に進んだ人間だし極端に無能でもアホでもないだろうから、アドバイスとして一般的な話を書いておこう。

単刀直入に言うと、アマゾンのレビューは完全に無視して構わない。レビューが掲載されている位置までページをスクロールするのは時間の無駄である。もちろん、僕はつねづね「防衛的パレートの法則」を主張していて、ひとまず何事についてであれ2割はまともな人材や成果があろうと言っているので、確かにアマゾンのレビューにも(2割よりも遥かに少ないとは思うが)まともなレビューはあろう。でも、そんな僅かな可能性にコミットするのは、まずもって哲学や思想に関わろうとする者として不見識である。結局、そういう妄想としかいいようがない可能性を見落としていないかどうかという強迫観念で学問をやるような人間に、自分自身にとってすらまともな成果は上げられない。それはちょうど、女の子に馬鹿だと思われたくないがために認識論や論理学を学ぶようなものだ。些末で本質的でないことは、さっさと切り捨てて成果を出すべきである。反省や修正は後からしてもよい。

レビューを無視しても構わない理由の一つは、そもそもレビューの大半は素人やアマチュアが書いているからだ。プロパーがレビューすることなんて(狭い業界ではすぐに噂となるので)まずない。仮に講座制が残っていて助手や助教などが太鼓持ちのレビューを書いたとしても、そんなものに学術的な価値がないのは明白だ。

二つめに(これ Google IME はどうあっても真っ先に「2つ目」って変換しようとするんだけど、日本語のセンスがないと思うんだよね。序数をアラビア数字で表記するのは子供の日本語だし、「~め」という表現をわざわざ漢字で表記するのは大袈裟で明治生まれ世代の日本語だ)、哲学や社会思想などの勉強を積んでくれば、レビューなんて読まなくても買うべき本であるかどうかの嗅覚みたいなものが身につくからだ。自分が学びたいことや知りたいことについて、図書館で本を物色したり雑誌論文を当たってみて、もちろんはじめのうちはクズみたいな本や論文を目にすることもあろうが、おおよそ信頼できる書籍を見つけたら、それが参照している文献をたどることによって、まともな本をトレースできるようになる。特に学術書の場合、批判すべき愚かなことを書いている本だとか愚にもつかない通俗書を敢えて取り上げて叩くなどという余計なことはしないのが普通で、或る本を取り上げて批判することが自分の立論を効果的にする場合を除いては、自分が支持しない内容の本は無視するから、参考文献には掲載されない。ということなので、権威ある本であるかどうかはともかく、自分で信頼できる本を見つけたら、参考文献を活用して他の本や論文に手を広げてゆくのがスタンダードな勉強である。ふつう、まともな学部生はそういう勉強の仕方をするものだ。そうすると、書名や出版社あるいは著者でスクリーニングできるようになる。

こう書くと、すぐに偏見だのなんのと言う人がいるのだけど、僕はいわゆる「モヒカン族」は引退したので、やはり書かれたり言われたこと、昨今のガキが好きな気取った言い方を真似るなら「言説」とやらは、やはりそれを書いたり発言した人物に紐づくのだ。したがって、馬鹿な本を書いている者(もう敢えて言うまい)や愚かな本を出版している企業(たとえば幻冬舎)は、著者つまり人物、あるいは出版社としてスクリーニングの対象にされてもいいし、それを甘んじて受け入れるのが学術研究者なり社会運動家なり出版事業者の責任というものである。

そして、こう言っては気の毒だが、哲学や思想というものはそれを述べたり主張している人物によって決まるものであり、誰が議論しても同じ結論が出るなどという学問は存在しない。それこそ、そんな学問があったら生成 AI に任せたほうがマシであろう。そして哲学や思想という分野の能力は、英語の本を何百冊と読んだり、数学の演習問題をどれだけ解こうと、本質的には何にも変わらない。ゆえに、若手でバカみたいな本を出している人間は、どういう出版社への伝手があったのかは知らないが、その後に東大教授とかになってもロクな本は書けない。そして、大学を退官してからクズみたいな本を書いてるジジイも、若い頃の成果がロクでもなかったのだろうと推定して良い。どちらにしても、なんらかの伝手だけで本を出版しているのは明らかだからだ。そういう連中は、若手だろうと年寄りだろうと、この宇宙に存在しない人物として扱っても大丈夫である。われわれの哲学には何のリスクもない。あると思っているのは、誰かの或る本を読んでいないせいで決定的なことを間違うなどと妄想する、青い鳥症候群の患者だけである。リスクがあるかどうかを決めるのは自分自身であって、それが何らかの重大な見落としを含んでいたとしても、そんなことはとどのつまりどうだっていいのである。しかるに、僕がここで書いていることを無視して通俗本を読み漁っている人がいたとしても、ぜんぜん構わない。それはその人の人生にすぎず、僕の人生ではないから知ったことではない。

それからアマゾンのレビューに多い特徴として、高額な書籍を駅の売店でチューインガムを買うような感覚で買って読んでいるかのような文章は、いわゆる「ホスト系のレビュー」とか「GACKT 系のレビュー」とか言われる特徴があって、「読書家」などと出版業界からおだてられているが、簡単に言えばスノッブの読書感想文にすぎない。この手の連中は、親の財産で食ってるのか、あるいは自力で FX やパパ活などで資産を築いたのかはともかく、暇と時間があるので情報量は多い。東大のクイズ王などと変わらないくらいの知識は持っているが、読んだ本の内容を比較して検討するとか、読んだ内容についての理解を自己分析したり反省するといった作業をしないので、彼らの書くレビューというのは概して生成 AI の要約を超えるものではない。つまり、人としての動機とか感情とか理想とかそういった自分自身の経験から生じる、敢えていうが「偏り」、もう少し誤解を避けて言えば自分なりの着目点がないのである。したがって、そういうスノッブどもの書くレビューは、常にあらゆる本を遠目に眺めては愛でるような、箱庭趣味的な捉え方でしか語られない。その本を、他人にも是非読んでもらいたいとか、これは読むべきだと思ったという、荒々しい熱意のようなものが全く無いのだ。そんな文章を読んだところで説得力はない。もちろん、三下営業のように感嘆符を多用すればいいというものではない。

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