Scribble at 2025-03-23 11:17:47 Last modified: 2025-03-23 18:52:47
日本のサラリーマンって、半世紀前のサラリーマン、つまり僕らが小学生の頃に天王寺などの大型書店で見かけては馬鹿にしていた『プレジデント』などのビジネス雑誌を読んでいたような連中と、いまでも社会人としてのレベルが大して変わっていないと思うんだよね。こういうメディアが事業継続できてしまっているという事実が、その証拠でもある。流石に昨今では「徳川家康に学ぶ上場企業の経営」だとか「秀吉の人脈術に学べ」だとかいった、荒唐無稽としか言いようがないアナクロニズムや安易な社会心理学のインチキ話は減ってきたが、どのみち低レベルであることに変わりはない。
その理由なり原因について考えてみると、これは MarkupDancing でも何度か述べてきたことだが、日本のマス・メディア、特に経済・経営関連のメディアは、原理原則の知識や議論を軽視した針小棒大な話題ばかりを取り上げているように思う。これがある家はお金がたまらないだの、人に好かれる言葉遣いはこうだの、つまらない処世術や、あるいは典型的な生存バイアス、原因と結果の錯誤といった、いまなら高校生にでも鼻で笑われるような認知バイアスの宝庫だ。いや、困ったことに、自分たち執筆者や編集者こそがクリシンや心理学を理解して活用しているのだと錯覚すらしているのかもしれない。
そしてそうなるのは、もちろんこれまでも書いてきたように、海外と比べて日本のマス・メディアに従事している人々は、身も蓋もない話だが「低学歴」だからである。もちろん大学院を出ていなくても見識のある学卒はいるだろうし、色々な意味で頭の良い人はたくさんいる(犯罪者という意味も含めてだが)。だが、具体的に誰がそうなのかは知らないし、ぶっちゃけ興味もないので、一般論として学歴のない人が一律に馬鹿や無能だと差別しないための、いつもの「防衛的な(人によっては「穏便な」もしくは「卑怯者の」という意味にもなろう)パレートの法則」を語っているにすぎず、いるとしても数が少ないのは事実であろう。そして、学卒ていどで自分が知識を司っているとか学術研究のサポートに従事しているなどと思い上がっているからこそ、自分たちが馬鹿で無教養であるという国際的なスケールでの自覚に欠けるわけである。かなり滑稽なフレーズになりつつあるが、これも「ガラパゴス現象」の一つであろう。そして、こういう事例を見ても分かるように、どれほどインターネットが普及して海外の情報へ低コストで大量にアクセスできるようになったところで、馬鹿にはそれを活用するだけの知性や動機がないのである。だから、海外のメディアと比べて自分たちがいかに低レベルなことをやっているかという自覚すらできないわけだ。でも、いまどきの(有能な)高校生は、すでに The Economist と、日経やプレジデントや東洋経済などのメディアとを比べているのだ。
もちろん、だからといって十分に活用もしていないのだから情報が少なくてもいいなどとは思わない。情報が少ない時代に生きていた人々にしたところで、もし現代に生きていれば更に色々とやれた筈である。未熟で無教養な知性のない人が、更に情報の少ない状況に置かれたら、それこそナチスや旧日帝の下で生活していた多くの人々と同じような愚行を繰り返すに決まっている。だって、凡人の愚かさに時代や地域は関係ないのだから。天才や有能さは多様だが、凡庸や愚劣さに多様性などない。企業経営でも言われることだが、成功に共通の原因などないが、失敗にはたいてい共通の原因があるのだ(それは、或る意味で「成功」とはそれまでになかったことで成し遂げられるのに対して、「失敗」とは同じことを繰り返してしまうことで起きるからだ)。