Scribble at 2025-03-06 08:12:41 Last modified: 2025-03-06 16:16:13

心あるいは意識の哲学ではおそらく「重鎮」とされているであろう人物が、なにやら通俗本を出したと聞いた。というか、このところ通俗本しか書いていないのではないかという印象もあるのだが、ともかく物理学でも観測問題に手を出す人々に言われる皮肉と同じく、あるていど事績を重ねた(と、言っておこう。最初に書いた表現はあまりにも気の毒だったので。いやしくも東大教授だしな)研究者にできることはといえば、翻訳するか俗書を書くか、あるいはカルチャースクールで教師の真似事を続けるくらいのものだろう。

僕は実物を見ていないので伝え聞いたことだけで言うのだが、その本では、何やら冒頭から「マインド・アップローディング」の話をするという。ここで僕が何度か書いているように、この「マインド・アップローディング」や "multiple realizability" のような話題は、単なる論点先取の見本みたいなホラ話にすぎず、「何を」「どうする」ことがマインド・アップローディングや multiply realizable であるのかという定義やコンセンサスすらないまま、それぞれが大好きな SF 小説や漫画やアニメの経験をもとにお喋りしているにすぎない暇潰しである。よって、哲学者が生涯の一部を使って批評することすら時間の無駄である。僕が(有能な)プロパーに成り代わって何度も(僕にとっては)貴重な人生の一部を費やしてまで言及しているのは、もちろん親切や義侠心ゆえでしかない。哲学者として、他に理由などあるものか。

ということであるから、この「重鎮」もいきなりマインド・アップローディグというものがありまして云々と話を始めるらしい。僕に言わせれば、そのような話はできのわるい「落語」にすぎない。メタレベルの議論すらなくて、いきなり妥当なコンセプト(着想)であるかのように話を始めるのだから、まさか哲学者を名乗っていながらそんなことをやるには、それなりの事情や動機や理由があるのだろう。おそらくだが、その本の趣旨はマインド・アップローディングにはないのであって、そういう巷の話題から引き出された幾つかの論点や議論を取り上げて批評することが主旨なのであろう。ひとまずそういうことにでもしておくのがよいだろうが、実際に確かめるまでに絶版となるかもしれないので、些事を厭わぬ方は、図書館に入っていれば確認してみるとよい。

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