Scribble at 2024-12-20 13:43:23 Last modified: unmodified
「老人」と自称するには早いかもしれないが、そろそろ付き合いも少なくなってきて、このところ世間でも話題となっている「年賀状じまい」なるものを検討し始めている。そもそも、小学生の頃から面倒臭いものであることは分かっていたから、出さずに済むならそれに越したことはないと思っていたので、こういう話題が出るようになったのは好都合である。
小学生の頃なんて、ふだんから顔を合わせている同級生に出してたりしたのだけれど、そんなことをする意味なんてないし、実際に意味があるのかどうかを考えたりもしなかった。そして、実際に意味はないだろう。現に、中学や高校になると年賀状なんて出さなくなった。そして、僕らが社会に出た頃には、もう会社内での(とりわけ上司への)年賀状は原則としてしないという会社ばかりだった。もちろん、中元や歳暮を送るのも、逆に禁止という会社すらあった。これはこれで理由の多くは日本に特有の「結果平等」や「横並び主義」や同調圧力というやつだが、一定の施策をすばやく組織に浸透させるには有効な手法でもある。凡人を制御するには便利であるから、なるほど日本の官僚や左翼(もちろん、どちらも「リベラル」などという薄い皮を被った社会主義者だ)が大好きなのも分かる。
そんなわけで、ここを御覧頂いている諸兄で年賀状のやりとりを僕と交わしている方がおられるのかどうかは分からないが、原則としていただいたものへの返信はさせていただくが、こちらから年内に賀状を出すことはしない・・・とは言っても、親戚など角が立ちそうな一部の人々へは送るのだが、それだけでもせいぜい5通ほどだから、さほど面倒でもない。ただ、いつも年末年始を一緒に過ごしている実家へ送るのは、意味がないので止めることとした。自分が自分で送った年賀状を郵便受けから出して父親に渡すとか、どう考えても無意味だろう。