Scribble at 2024-10-23 09:39:40 Last modified: 2024-10-23 09:46:01
確か MD では取り上げた話題だと思うが、特に小説やエッセイのようなジャンルのタイトルだと、紙の書籍から電子書籍までを全て集計すると、2020年に出版されたタイトルの 98% は5,000部も売れておらず、大半のタイトルは1,000部も売れていない。当時のアメリカで年間所得に匹敵する10万ドル(いまのレートで1,500万円)を手にしようとすれば、おおよそ4万部は本が売れないといけないが、毎年のようにそれだけ売れる本を書ける人はわずかである(或る1年間だけでも 1% に満たない)。学術研究書の場合は、もともと発行部数なんて3,000部も出たら良いほうだし、仮にプロパーの多くが買わなくても全国の公共図書館や大学図書館が引き取ってくれるので、大学の資金に国の助成金が含まれるという事情で言えば、学術書の出版社とプロパーは税金で食いつないだり書籍を出版できていると言ってもいいだろう。もちろんだが、学術書の場合は、長野に書庫を兼ねた別荘を建てるなんて売上の本は滅多に書けないからこそ、毎年のように色々と話題を変えて彼らは愚劣な本を書き続けないといけないわけだし、あるいは「なめネコ」・・・じゃなくて「なめらか社会」のような程度の低い数理社会学の勉強ノートみたいなものを21世紀になってすらありがたがる、社会科学と数理統計学の素養がない日本とかいう辺境国家だけでしか、そんな出鱈目な出版は何年も通用しないわけである。
もちろん、学術書が売れなくてもいいなどと嘯いても無意味だ。あるいは、メジャーにならなければダメだなどと、かつての栗本慎一郎のようにセコい学界政治や文壇政治という観点でしか思想の価値を測れない「政治屋」の言うことに哲学者が耳を傾ける必要もない。全ては是々非々でしかないと思うのだが、それにしても「NYT のベストセラー」と言われる本の大半が、実際には数千部しか売れてないといった裏話を読むと、それなりにゲンナリするのも事実だ。先日も書いたが、僕は自宅に Penguin Books のペーパーバックを100冊以上は持っていて、その大半がアマゾンで安く買った評伝とか、戦時あるいは奴隷体験の回想録とか、それからノンフィクションの本なのだが、そうしたかつてのベストセラーでも古本じゃないのに数百円で投げ売りされているのだ。ただ、小説やエッセイは言葉の扱いや構成が酷いと使い物にならないが、ノンフィクションの本は文章がどうであれ情報そのものには価値があると思って読んでいる。なので、たぶん日本では殆ど英文学の人たちですら熱心には論じていない Nat Turner の反乱事件だとかにやたらと詳しくなったりする。それはそれで有意義だと思っている。