Scribble at 2024-10-22 22:53:57 Last modified: 2024-10-22 22:56:04

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市場の目まぐるしい変化や、事業の軸としてきた「価値」の見直しなど、経営の前提が揺らめいている今。「本質」を見失わない経営を実現するため、ガバナンス(企業統治)に哲学者や宗教者が関与する試みも始まっている。

哲学者が監査役、僧侶が社外取 本質射貫く「心の時代」のガバナンス

「ああ、またか」

上記のような記事を僕が取り上げたという事実だけで、もうみなさんはこれからどういう文章が出てくるのかを想像して、おそらくはウンザリしているのだろう・・・金持ち大企業のインチキ・メセナや偽 CSR あるいは、アメリカで10年以上も前に流行した(確か『現代思想』で誰か言及してたよね)インハウスの哲学者に「存在論」を語らせてどうのこうのという暇潰しについて、またぞろ大量の罵詈雑言を読まなくてはいけないのか。この爺さんも、よくこんな哲学的な些事としか言いようがない話題を、わざわざ見つけては記事を書くものだ。暇なアマチュアは、こんなことに時間を使っていられるから羨ましいよ・・・。

でも、忙しいはずのきみたちプロパーは、いったいその忙しさでどういう業績を打ち立てたというのか。本来は君らプロパーが、こういうインチキを取り上げなくてはいけないのではないか。学問の軍事利用なんていう話題にだけ立ち上がるなんていうのは、僕に言わせれば単なる左翼的な偏向にすぎない。本来、学問の曲解や悪用は、こういうビジネスという事案にも適用されなくてはいけないはずだ。

僕は言いたいのは、実はこれだけだ。このような事案に、実質的には(つまり正式に会社から管掌として求められていない自主的な関与ということ)インハウスの哲学者として20年近くも携わっている僕が、なんでこんな株主の顔色しか観てない連中が演じさせる芝居の評論を書かなくてはいけないのか。

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