Scribble at 2024-10-22 07:58:28 Last modified: 2024-10-22 08:39:01
弊社は来月いっぱいで、この弁護士ドットコムが運営する「クラウドサイン」という電子契約サービスは解約して「GMOサイン」に移行する。理由は、数ヶ月前に弁護士ドットコムが、いきなり利用料金を3倍に値上げするとメール一本で予告してきたからだ。競合が増えてきて成長力に疑問が生じて株主から文句を言われたのか、インフレだの社員の待遇改善だのと言い訳を並べることはできるだろうが、それにしても3倍というのは酷すぎる。そして、上記でご紹介しているように、わざわざ自社の技術力をアピールするためのブログまで運営しているようだが、実際にはテンプレートの編集システムすら、上場する前から数えれば5年以上も改善されていない技術レベルの会社だ(技術はあっても他の部署に阻まれるとしても、会社なんて他の部署との牽制関係を考慮したうえでの実績なのだから、そんなものは言い訳にならない。単にマーケティングや営業に「負けた」だけのことだ。それも企業においては「技術力」の一部なのである)。ということで、こんな会社の技術力など知れているわけだが、かような記事を書いている社員一人に責任を帰してもしょうがない。(とはいえ、上の記事を書いた「水無月ばけら」という人物は、確か元はビジネス・アーキテクツの役員だったはずなので、「三下」とも言えないから弁護士ドットコムの技術力やデザイン力のなさについては責任があるはずだが。)
ともあれ、本題はそんな下らない話ではなく、電子書籍のフォーマットである。前にも書いたように、それから MD では何度か書いているのだが、僕は個人の趣味としては「フロー形式(リフロー)」の電子書籍は好まない。理由として、レイアウトがほとんど1カラムの流し込みで固定されてしまう(要するにブログ記事みたいな体裁になって、はっきり言えば書籍のビジュアル・デザインとしての自由度が下がる)こと、そしてリフローの電子書籍は典拠表記ができなくなるので、学術文献のソースとして使えないからだ。
もちろん、典拠表記は学会誌が定めた投稿規約によって異なるため、「著者名と出版年」だけを示せばよいという雑な事例も多々ある。理数系の学会誌の多くで、ページ数まで表記することを求めていない場合が多いのは、科学哲学のプロパーなら理数系の学会誌も読むことがあろうからご存知であろう。だが、僕は学部時代にウンベルト・エコの『論文作法』を読んで学術論文の書誌や文献表や典拠表記を、それなりに厳密に記載することを教えられた一人であるから、エコの本はイタリアの学位論文のフォーマットを解説しているけれど、僕は学術論文全般について一つの規範となりうる内容だと思って参考にしてきた。当サイトでも採用している文献表のフォーマットは、国内では「ソシオロゴス方式」などとガラパゴス呼称が流行っているようだが、僕は岸くんのウィトゲンシュタインに関する論文が掲載されたときに本人から見せてもらうまで『ソシオロゴス』は知らなかったので、僕がこういうフォーマットを採用している経緯は全く別である。また、科学哲学の文献でも、たとえばウェズリー・C・サモンの Scientific Explanation and the Causal Structure of the World などが同じようなフォーマットを採用しているけれど、それも後から知ったことなので、サモンの本を参考にしてフォーマットとして採用したわけでもない。
といった事情はあれ、もちろんリフローの方がアクセシビリティとして「優れている」と言われているのは分かるし、文字のサイズを拡大しても紙面を動かさなくて良いのは楽だ。でも、単純に文字のサイズだけをもってアクセシビリティを語られても、僕はいささか困るところがある。それは、僕自身が老眼鏡を常用するようになって5年以上は経験してきた感想として言えば、文字サイズが大きいとスクロールの回数や頻度が増えるため、目が疲れるからだ。また、誰でもあることだと思うが、何かを確かめたり思い出すために、先に読んだ箇所へ再び戻るという操作をすることがある。文字サイズが大きくて一覧性が低いと、その場所を見つけるのに逆のスクロールを繰り返す回数も増えるし、さて元の場所に戻ろうとして何ページまで進んだかを覚えていなくてはならない。本来なら、1ページの中で済むかもしれない作業が、文字サイズを大きくしているせいで何ページ分にも分割されてしまって、即座に視覚的にフォーカスを移せなくなるというのは、それなりに負担が大きいのだ。
もちろん、そもそも画面サイズが固定されている従来のデバイスでは、これらを全て解決する手段はない。これらを全て解決するには、VR/MR デバイスに紙面を投影して読むしかないだろう。でも、それですらベストの解決方法とは思えない。なぜなら、VR/MR デバイスの装着は生理的な負担が増えると思うからだ。あとは、イーロン・マスクの子会社とかに人体改造の研究をしてもらう他にないのではないか。
ということで、リフローの利点も分かるのだが、そこでの「アクセシビリティ」というのは、どうも部分最適化に過ぎないような気がしている。