Scribble at 2024-09-05 10:12:48 Last modified: 2024-09-11 12:50:56
ここ数年で統計学の因果推論に関するテキストは相当な数が出版されていて、その多くは翻訳だし取捨選択として必ずしも適切とは限らないような本もあるにはあるが、ともかく手堅い概論が多く出ていて充実しつつあることは確かだ。パールの翻訳、あるいは翻訳者である黒木氏(例の「掲示板だけで有名な数学者」ではない)の著書くらいしか読むものがなかった頃に比べたら、出版だけは「活況を呈している」と言ってもいいのだろう。もちろん、パールの共著である The Book of Why くらいから読み始めることをお勧めする。
で、因果関係の哲学という分野に関連させておくと、やはりいまだに哲学の議論と近年の統計的な因果推論の成果とを結びつける著作は殆どないと言える。いやそれどころか確率や統計を加味した因果関係の議論そのものが哲学の出版物としては少なく、いまだに一ノ瀬氏の三部作が出発点となっているのが実情だろう。よって、現状では統計的因果推論のテキストで理論的な背景の一部として扱われている哲学的なトピックで知ることになる人が大半であり、哲学から入った学生が統計的因果推論について言及した著作を読む機会は少ない。
なので、僕としては Ned Hall と(妙な方向へ走ってしまった)L. A. Paul との共著である Causation: A User's Guide (Oxford U. P., 2013) あたりを訳出するか、同等の内容でプロパーが概説書を書くようなところから始めるのが妥当だろうと思う。上記で DAG のツールをご紹介しておくが、Hall & Paul では DAG という数学的な解説は殆どなくて、便利なダイアグラムとして導入されているだけだから、統計学やグラフ理論などの概説は含まれていない。それに、DAG のツールを紹介しておきながらも、僕は実際にはこういうツールは使わない。たとえ分析のためではなく、ダイアグラムとして図示するためのグラフィックスを制作するためであっても、これまで Illustrator や Photoshop しか使っていない。そもそも、ツールを使ってまで処理しないといけない複雑で多くの要素を考慮しないといけない状況は扱わないし、統計解析の実務としても、ツールを使うほど複雑な状況を処理するにあたって、こういうグラフィカルなツールに頼るのは逆にリスクがあるからだ。つまり、目で見た限りでの印象とかバランス感覚とか、そういう偏見で DAG のツールを操作してしまうというリスクがあるので、こういうものはできるだけ「冷酷」で「情け容赦」のない「機械的」なデータ処理に徹するのが望ましい。つまり、DAG というのは computation とは別の認知的なノイズ(ヒトの認知プロセスという、情報処理において最も非効率で愚かな結果を招く生体部品の影響)が混在する可能性がある手法であって、見た目ほどクールでもなければシンプルに扱えるわけでもないのだ。単なる「◯→◯」という状況ですら、哲学としては語ることがたくさんある。