Scribble at 2024-08-31 08:45:00 Last modified: 2024-08-31 17:44:22

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子供の頃の国語授業が"元凶"だった…誰でも可能な「1冊を15分で読む」を阻む義務教育カリキュラムの罪

会員専用の記事だから読んでないけど、もちろんこういうバカ話はタイトルだけで断定するのが効率的な情報処理というものだ。学術研究者というものは、本来は僕らのようなアマチュアですらアホの議論に付き合う時間やお金などないのであって、そういう是々非々で判断したり動かないと、業績どころか、或る程度は納得のゆく成果すら出せないのが現在の(大半は凡人が携わる)学術研究というものなのである。

ということで、こういう記事はビジネスマン向けのメディアによくあるわけだけど、はっきり言って評価の基準は簡単な話なんだよね。つまり、速読について語るようなやつの殆どは、速読セミナーの講師にしかなれていないの。それだけだよ。彼らがその速読とやらで東大教授になったり、ITベンチャーの経営者として上場したなんて事例は、全く無い。みなさん科学哲学のプロパーなら自分の大学で確認できると思うけど、速読して大量の本を読んだことで絶大な生産性で論文を書いたり、他人が数年はかかるような処理を数日で終えたなんて人物が自分の大学の同僚に一人でもいるかという話だ。もちろん、答えは明らかだろう。

速読で人類史に残る事績を打ち立てた者など一人もいないのである。

僕に言わせれば、「速読」と呼ばれているものは単なるザッピングであり、手持ちの情報を組み直した偏見で本の中身を捏造しているにすぎない。そして、占いと同じように、同じジャンルの本であれば当てはまるような抽象語とレトリックによって、あたかも(そして本人ですら)読んだ記憶があるかのような錯覚を起こすわけだ。つまり、速読というのは本を手早く扱うことにインチキの本質があるのではなく、本を短時間で読んだと(自分自身にすら)思い込ませるような、読んだ後に自分自身や他人に向かって行う言葉のパフォーマンスの方が本質なのだ。

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