Scribble at 2024-08-08 11:45:11 Last modified: unmodified
以前、MarkupDancing の落書き(Notes)で書いたのだが、コンピュータのファイル・システムというだけではなく、ビジネス実務としての「ファイリング」、つまりは書類の整理整頓について、体系的な考え方を整備できないものかという話題を取り上げたことがある。そして、既にあるファイリングについての資格試験を実施している団体もご紹介した。でも、それはあくまでも実物としての書類をクリア・ファイルやバインダーやクリップなどでまとめて、鍵付きのキャビネットへ保管するとかインデックス・シールを貼るという昭和チックな話であって、「OA」という言葉すら目新しかった原始時代の話だ。もちろん、そこにも同じ原理原則が当てはめられるとは思うが、具体的に思い描く管理対象があまりにも古臭い。しかも e-文書法が施工される現代においては、或る意味で社会の要請に反するようなことでもあろう。書類の整理を語るということは、要するに書類を印刷して運用するという実務が前提になっているからだ。
ということで、他にも色々なアイデアや経験や知見があるはずなのに、この手の話題がビジネスの実務として広く語られないことに不満を感じている一人の事務屋のお爺さんとして、なにほどか役に立ちそうな知見をまとめられないものかと思っている。たぶん、同じような趣旨だからか、家事全般が体系的に議論されないことにも同じような不満を持っている(正直、僕は「家政学」なんてものは、哲学の応用として扱うのが無理な段階の未熟な分野だとしか思えない。せいぜい、こんなものはフェミニズム系の左翼の溜まり場であろう)。
なので、上記のようなカレンダーを使ったファイル・システムというアイデアも一つの面白い発想として取り上げてみる気になるわけだ。日付でファイルなりデータを整理するというアイデアは、もちろん奇妙なことでもなんでもない。みなさんも、撮影した写真の画像ファイルを日付ごとにクラウドで管理していることがあるだろうし、僕らサーバ・エンジニアの業務では、アクセス・ログを初めとする大半のログ・ファイルは、用途ごとに並べ替えたら、あとは日付ごとに整理する。したがって、データやファイルを整理するための基準として日付を採用することに(もちろん用途によっての適切さという条件はあるが)何の不思議も不合理もない。したがって、問題は、どういう目的で、どういうファイルや書類を、日付ごとに分類したり保管することが適切であり、安全であり、合理的なのかという条件を考えることにある。これを、多くのサラリーマンは単なる思い込みや経験だけに頼って延々と、それこそ僕に言わせれば「サラリーマン」というものが誕生したときから現在に至るまで延々と場当たり的に続けてきている。
本来、こういうことを原理原則から考え直して、それこそ考え方や概念や理屈として整理し直して提案するのが、われわれ哲学者の仕事でもある。それがプロパーとしてコミットするべき哲学研究者のタスクであるかのように誤解されるから言い過ぎだというなら、phisophizing をよしとするマインド・セットをもつ人物の仕事でもあると言い換えてもいいだろう。大学の教員なんて、ファイリングなどの実務能力がゼロの人間が多いわけなので、彼らに期待など最初からしていない。だからといって、無知無教養な大阪維新的な「民間の知恵」などという戯言を過信して、市井の事務屋こそ成し遂げられるなどと言うこともできない。実際、市井の凡庸な事務屋どもが世界中に過去から何億人いたのであれ、現にサラリーマンなるものが誕生してから100年以上も経過したのに、洋書を探してもファイリングの体系的な考え方を概観する書籍なんて一つも出ていないではないか。
しょせん、philosopher としてのマインド・セットをもちながら事務職としても有能な、僕らのような変わり者でもなければ、こういう話題で原則なり体系的な知見をまとめることなど成し遂げられないのであろう。でも、だからといって僕らがそれに多くの時間や知性を費やすかと言えば、もちろん何の見返りも期待できないのだから、そんなわけにはいかない。好き勝手に、暇なときに調べ物をして、気が向いたら論説を公表するていどのことができるだけだ。僕らはビジネス・プロセスや実務に関する研究のプロパーではないから、そういう意味での社会的な要請や期待や職責がないからだ。有能な人間だからといって、その成果を出さなくてはいけないなどという義務なんて、それで報酬を受けるわけでもない限り、そんなものはないのだ。われわれ有能な人間に成果を出して「ほしい」というなら、それに見合う報酬を用意するのが道理というものであろう。結局、有能な人間とは、それをやれるというだけではなく、やってもいいしやらなくてもいいと自分で決められる人間のことなのだ。