Scribble at 2024-07-04 15:07:23 Last modified: 2024-07-04 15:33:44
同じ話題について MD でも落書きを公開しているが、こちらでは少し違う話題を書いておきたい。上の記事で、たとえば姜尚中氏を「朝生出身の文化人」などと書いているけれど、これはマスメディアの思い上がりも甚だしい表現だと思うんだよね。マスメディアに文化人を自ら定義したり輩出するような見識や権威などあるわけなかろう。
そもそも、他の国では殆ど耳にしない「文化人」なる地位というか身分というかポジションというか、よくわからないフレーズの意味も分からないのだが、とりあえず日本の「文化」とやらの醸成や創造に貢献した人物という意味で理解すると、学術研究者はみんな該当するだろうし、芸術家や芸能人やアニメ制作会社のスタッフも入るだろう。それこそ、定義によっては雀荘を経営してるオバハンだって入る。海外でさほど "culture" なんて言葉を聞かないのは、その意味がはっきりしないからであるとともに、成果や生活スタイルや言葉遣いなんてものは誰かが勝手に「これが我が国も文化だ」などと言うものではなく、ましてやマスメディアが決めるようなことではないからだ。だからこそ、"American culture" という表現には、どこか常に傲慢な響きが感じられるのである。日本の不幸は、権威主義者だからこそ言うが、マスメディアが権威をもつこと自体の是非はともかく、このような日本のマスメディアが権威をもってしまった、あるいは権威があると錯覚して番組を作ったり色々なことを国民に指南するようになったことにある。たとえば、各社が用字・用語辞典を出版しているのをご存知かと思うが、言葉遣いの間違いや奇妙なイントネーションや「ね」とか「かたち」といった奇妙な語尾や言い回しを濫用している最大の元凶はマスコミのアナウンサーや記者や校閲担当者である。
本来、文化の創造や発展に寄与した人物を「文化人」と呼ぶなら、姜尚中氏が特に文化の発展に寄与したかどうかは分からないが、少なくともマスメディアに評価されたり認められることは必要条件ではない筈だ。まずもって、彼は番組に出はじめた頃はウェーバーの話ばかりする在任中の、たしかまだ準教授だったが、何らかの業績があったうえで評価され、文化人の一人と見做されるようになって番組に出るということなら分かるが、その逆、つまり番組に出て有名人になったことで文化人と見做され、そしてテレビで大学の知名度を上げたことによって教授に推挙されるなんていう人もいるだろうが、そういうのは僕のような権威主義者から言えば学術研究職や高等教育機関の教授職に関する「簒奪」と言ってもいいような話である。まぁ、哲学にもその手の簒奪者がちらほらといるようだがね。死ぬ前に一度くらいは僕のこういう文章を読んで恥を知るといいな。