Scribble at 2024-07-10 18:19:08 Last modified: 2024-07-11 10:58:12
僕は日頃から「クオリア教」とか揶揄しているので誤解されがちなのだが、茂木健一郎氏は個々のテーマに分けると支持できる思想なりスタンスをもっている人物だと思うんだよね。理由は幾つかあるんだけど、たとえば科学哲学のプロパーなら、我らが元会長と現会長が出ている「応用哲学」の有名な動画を YouTube で観た人もいるだろうから、あそこで茂木健一郎氏が何に怒っていたのかを理解し同感だと思えるかどうかは一つのポイントになると思う(ちなみに、このポイントは啓蒙に関する話であって、日本で語られている生命倫理でテーマの建て方が歪んでいると怒ってたというのは違うポイントだ)。そういや、応用哲学って学会みたいなのがあった気がするんだけど、いま何やってんのかね。基礎やスタンダードよりも応用の方が先に意欲もネタも人員も予算も尽きるとか、ビジネスの実務や工学の研究ではありえないんだよね。
あと、茂木健一郎氏は他の動画を観ていても、いわゆる「理系 vs. 文系」という区別を勝手に持ち込んで優劣を語る連中の議論だとか、或るテーマがどちらに属しているかを決めようとするようなマスメディアの議論を避けようとしている場合があって、こういう点は非常に健全だと思う。というか、応用哲学はともかく、頼むから科学哲学やっててこれくらいの思想は持とうよって思うんだよね。科学哲学者は、そもそも哲学者なんだからさ。哲学が「文系」だと本気で思ってるプロパーがいたら、逆に驚くべきことだと思うよ。
あと、当サイトのこういうページで掲載している「落書き」の類は、こうして彼らの語っている話を聞いていると、それほどかけ離れたことを書いてるわけでもないと思うんだよね。皮肉や罵倒してたりするから、異常なことを言ってるように思うかもしれないけれど、それは表現が粗いからそう見えるだけなんだな。
もちろん、彼らの話の全てに同意できるわけではない。たとえば、上の動画で森岡正博氏は科学哲学の印象を質問されて、「科学について分析哲学的なことをやっているのが科学哲学だ」とか言ってるけど、これは歴史的にはナンセンスな理解であって、その場で詳しい解説をしてもしょうがないから伊勢田さんは反応してないんだろうけど、そんなことを科学哲学の教科書や入門書に書くようなやつはモグリの認定をしてもいいと思うね。言語分析なんてアプローチをとった科学哲学者は殆どいないわけだし、最近は「概念分析」をするのが分析哲学だとか言う人がいるけれど、それをウィーン学団やウィトゲンシュタインの時代に遡行して当てはめるのは、単なるアナクロニズムでしかない。誰かが過去に、分析哲学が記号論理を主要なツールとして使うようになったのは単なる歴史的な偶然にすぎないと言ってて納得したんだけど、たとえばフレーゲを分析哲学の始祖だとか言ってる人っていうのは、いま言ったようなアナクロニズムなんだよね。論理学を分析哲学のツールとして使っているという現状から遡っているだけにすぎず、哲学的というか(発生論なり歴史的経緯としての)比較思想史的な観点から言えば、そこに必然性なんて何もなかったんだ。そもそも分析哲学を「言語分析」ではなく「概念分析」だと言い始めてる人たちにしても、要するに英語の文法みたいな話を延々とやっててもウケが悪いから、ドーナツの穴からアダルト・ビデオに至る猥雑なテーマを形而上学的に語っても「分析哲学」だと言って本が書けるようにしたいってだけで、要するにマーケティングなんだよ。