Scribble at 2024-06-27 19:24:14 Last modified: 2024-06-27 19:39:06
僕は経済学については素人だし、他の方と比べて特別に強い関心があるわけでもない。したがって、経済学の勉強とは言っても法学部と経済学部だけをもつ大学で学部時代に幾つかの単位を履修したていどであり、さほど素養もないわけだから、こうした一般向けに書かれた本を読むのも道理かと割り切っているのだけれど、しかしやはり一般向けの本というものは、素人目から言っても不十分なものが多いと思う。
つまり、こうした著作を書いている人々は、経済学のプロパーとして専門の訓練なり教育を受けてきていても、一般向けの本を書いたり、所属大学には決して入学できないような偏差値の多くの人々に向かって説明するという訓練は受けていないわけだから、やはり大半の場合において「物書きとしてはアマチュア」だと言わざるを得ない。もちろん、大手の出版社ではそういう事実をフォロー・アップするために編集者や査読担当がいたりするわけだが、日本では査読を正式に編集プロセスに採用している出版社は、実は殆ど無い。実質的に編集者個人が査読も兼ねている場合が多いからだ(あるいは、せいぜいゼミ生や同僚のプロパー、それから家族に読ませるていどである)。しかも、日本の出版社の多くは編集者がそもそも著作物のテーマについて修士以上の学位をもっていない素人であることも多いし、おまけに査読者としてもアマチュアである(査読にもプロとしての読み方という観点がある。ブック・レビューや校閲を馬鹿にすんなよ)。要するに、日本の出版社というのは素人が書いて素人が編集しているも同然なのである。アメリカに比べて一般向けの本や大学の教科書が非常に程度の低い駄本であることが多い決定的な理由はこれである。
本書は、テーマとしては興味深いので手にとったのだけれど、おおよそ前半部分は素人心理学をもとにした雑な行政批評にすぎない。こうした、自分が障害者の親であるという事実にあぐらをかいた著作というのは、外から批判を加えることが「いけないこと」であるかのような風潮があるせいで、まともに議論できない。よって、alternatives が出てこずに、こういう程度の低い本がスタンダードな議論であるかのような状況を作ってしまうのだ。寧ろ、僕がここで指摘しているような観点の方が「経済学」と言ってもいいくらいだろう。
後半の差別にかかわるテーマを取り上げる箇所になって、やっと経済について書かれている内容も増えるわけだが、やはり素人の財政学や素人の社会心理学をもとに政策や法令をあれこと論評したり、あるいは「障害者の親」という、当事者無双と言ってもいいような大鉈であれこれと好き勝手なことを議論しているだけに終止しているようにしか見えない。そして、著者のプロフィールを確認すると、やはりというか案の定、慶応だ。リバタリアンの牙城と言ってもよく、福沢諭吉がそもそもの思想的な元凶なのかは知らないが、価値判断を無視して梯子外し的な自由や規制撤廃という観点とスタンスを強調する議論が、現状追認あるいは強者を利することになるという経済のリアリティを理解しない「金持ちのおりこうさん集団」である。
だいたい、この本って導入部分からして強い違和感があったんだよね。著者が誰か他の研究者の発言をもとに述べている箇所のようだが、経済学は利害関係から中立の学問だという。つまり、医学は医療業界というスポンサーがあり、法学は法曹界というスポンサーがあり、工学は産業界というスポンサーがあるけれど、経済学には「知性」以外のスポンサーがないから中立だなどと、はっきり言って愚かとしか思えないようなことを言う。経済学なんて、どう考えても IMF から連邦準備制度理事会や日銀や財務省や経団連を始めとする巨大なスポンサーから自由ではありえない学問ではないか。マル経ですら、共産党とか特定出版社や社会運動組織との関係なしで経済を論じているわけではないというのに、なにをいまさらそんな小学生の道徳教室みたいなことを言っているのか。