Scribble at 2024-06-26 08:47:53 Last modified: 2024-06-26 11:47:29

通俗本の解説だとか訳者あとがきで、当該書籍の著者が提唱している仮説や概念について、関わりがあるという事情から肩入れしたくなるのは心情として分かるものの、そのサポートが非常に杜撰な文章を多く見かける。その典型は、二つや三つの事例を示して「これだけ実例があるというのに、どうして否定する人がいるのか」などと言って見せるものだ。

それがセンチメンタルな批評ではなく学術の話であるというなら、この区別(あるいは文芸と科学の対比と言い換えても良いが)に明確で「自然な」基準などないのは、ポスト・モダニズムを経た今では科学哲学でも常識となっている筈だが、ともあれ二つや三つの事例を示すだけで説得力があるかのようなレトリックを弄しても有効ではない。こんなことは、帰納だの確証理論だのと言う以前の問題であって、小学生ですら理解できるだろう。

また、これを二つか三つの事例と共に「これらを始めとして膨大な検証結果がある」などと書いてみたところで、プロパーでもなければ学術研究者にとってすら、そんな検証結果があるという証拠は知らないのだから、これまた言葉のトリックであろうと疑われる可能性がある。なんと言っても、他に10や20の成果が出ているていどのことで「膨大」と言ってのける、natural born marketer (sales person) というのが、ハーヴァードを出ていようと東大の博士号を持っていようと、どこの分野にもいる。

よって、本当にそんな学説に多くの実証というサポートがあるのかどうかは、もちろんプロパーと同じ見識をもって専門の研究成果を調べ上げないといけないというのが道理となる。そして、もちろんこれもご承知のように、そんなことを幾らでもできる人はいない。いくら君らのような東大暗記小僧が優秀でも、学んだ全ての分野について十分な確証を自分自身で調べ上げて得るなんてことはできないわけだ。それに、いくら知識や情報があろうと、毎日の食事で摂取している野菜や果物に、どのていどの残留農薬が含まれているとか、どの残留農薬がどのていどあっても生理的な影響は低いと言えるのか、栄養学を学んでいる僕ですら、実際に自分が口にする食べ物の成分を調べてから口にするなんてことはない。

つまりは、プロパーとして取り組む自分自身の専門分野においてすら言えることだが、どういう話題についてであれ、巨人の肩どころか、われわれは先人や同僚の、小さいがそれでも彼らの肩の上に「分業」として乗っていると言えるだろう。ありがとう、東大暗記小僧の諸君。まぁ、君らの論文も本も読んだことはないと思うが。だって、ここ20年くらい、はっきり言って竹尾先生の区別で言う「ハードな科学哲学」と言いうる(この区別も明確ではないが。日本科学哲学会の会員なら、皮肉な意味でよくご存知であろう)日本語の著作なんて殆ど出ていないわけだし。「科学者」という言葉は近代の新しい言葉であって云々という茶飲み話から始まる通俗本は僕らが読む必要も理由もない。それから自然主義だ実在論だと、何々主義やら何々論の大掴みな話ばかりされても、いまいちそんなことは雑誌論文でやれよという気がしないでもない。ああ、あと Google Plus で圏論のコミュニティを管理してた経緯から言うけど、いまどきの圏論を振り回してる本の多くも、僕には introductory なものには思えない。何人か科学哲学のプロパーも関わってるようだけど、「わかってる人々による、わかってる人々がニヤニヤ読めばいいような、かなり醜悪な業界話」にしか見えないね。なんで日本の出版社って、何かブームになりそうな話題があると分かると、ああいうものばかり出すんだろうね。あの手の醜悪な本って、もう3冊くらいは書店で見かけてるんだけど、それで僕らのようなシステム開発のエンジニアやコンピュータ・サイエンスの研究者、それから科学哲学のプロパーでもいいけどさ・・・実績、いやそれ以前に成果は? 俺は、少なくとも圏論に関しては日本人の誰の肩にも乗ったつもりはないね。だって、誰も何も書いてないじゃん。

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