Scribble at 2024-06-11 17:48:50 Last modified: 2024-06-13 08:19:25

老人らしいと言えばそうなのだが、たまにここでも MD でも昔話を書くことがあって、そのときに別のことを思い出したりする。それは、自分がどうやって字を覚えたのか全く記憶がないということだ。LD の解説本などには、子供の頃に字が読み辛かったり計算が苦手だったり云々と書かれることがあって、それと子供の頃によくある間違いとは別だなどと言われたりする。例えば、文字を左右反対に書いてしまうとか(そういや、The Journal of Philosophy で半世紀くらい前に鏡像をテーマにした論文が出ていたし、さきごろ誰かが鏡像について本を書いていたのを思い出した)。でも、僕は文字を左右反対に書いた記憶は全く無いし、それどころかどうやって文字を覚えたのかまるで覚えていないのだ。気がついたら、小学4年生くらいで国語の先生を見習って筆写の練習を少しやって、要するにイメージ・トレーニングで上達することを覚えてから、ホーム・ルームで板書を担当するくらいには字が上手くなったことを覚えている。その後、中学になってから習字の授業で更に字がうまい同級生を見習って筆も練習したのだが、硬筆やチョークで字を書くよりも遥かに修練とセンスが必要だと分かって、練習しなくなってしまった。習字の授業を除けば、筆や筆ペンで字を書く機会が殆どないからだ。せいぜい、誰かが死んだときに薄墨で香典袋へ署名するくらいのものだろう。

といったことで、僕は自分が子供のころを思い出して LD とは異なる字の読み辛さや書き難さを想像しているわけではない。そんなことは、自分がどうやって文字を読み書きできるようになったのか覚えていないのだから、想像できないのだ。なので、制作を予定しているテキストで LD に対応するとは言っても、原則として中高生以上の人たちしか想定できない。なので、「LD 対応」だからといって、サンリオのイラストみたいなものを紙面に散りばめて丸文字をフォントに採用した科学哲学の教科書なんてものを想像してもらっては困るのである。

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