Scribble at 2024-06-09 18:44:28 Last modified: 2024-06-09 19:05:54

以前、この手の話はやめると宣言したのだけれど、やはり MD で書いているように、世俗の人々は僕らのようなアマチュアが同じ世俗において批評し続けないといけない責任があろうと思う。なので、もちろん名誉毀損の意図はないが、改めて言わせてもらう。

あの、このサイトを見てるらしき友人やら大学時代の知人たちから、主に年賀状やメールで幾つかのコメントをもらったりするわけだけど、僕が某*野一徳氏をおちょくったりしてるのは、僕が政治とか文化とか、要するにヒトなんていう些末な生物種が生物としての生活圏において維持しているにすぎない価値観とかに制約されない哲学者だからであって、ヒトのもつ価値観で世界とか宇宙を理解したり意味をもたせようとするのは、要するに哲学者としての自己欺瞞だと思うからなんだよね。こういうのは、現象学やってる人なら当然のように分かってると思うけど、あけすけな世俗主義をプラグマティズムだと錯覚してる連中って、もうこの手の感覚がなくなってるんじゃないかって思う。英米哲学だけに限らず、フランス思想とかやってても、そのフランスで哲学やってる連中がおかしくなってるわけだし。

それが、たとえば古典のアンチョコをブログで書いたていどの「実績」で政府のなんとか委員とかになってるような連中を叩いたり嘲笑してる理由なわけで、僕は別に「ネット論者」みたいなスタンスで書いているわけではなく、かなり哲学者というスタンスから真面目に戯画化して扱ってるわけだよ。だって、たとえば物書きとして岩波書店だ筑摩書房だ東大出版会だと擦り寄っていく連中とか、あるいは政府のなんとか委員だの大学の理事だのになっていくような人々というのは、なんだかんだ処世術なり現実との妥協なりという理由をつけていても、必ずしも見合った価値や正統性があるとは限らない権威だとか権力に擦り寄っていってるわけだろ?

もちろん、僕はその逆に「民衆」だの「在野」だのなんていう、たいていは無知無教養で馬鹿な連中に擦り寄って、別の行楽地にある宴会場で知識人の一人として接待してもらおうなんてつもりもない。右だろうと左だろうと、そんな自意識だけが沸き上がっていて、次は自分たちがヘゲモニーを握ってやろうみたいなスケベ根性だけの左翼とか右翼とか独立研究者とやらもクズだと思うしな。人類史スケールの保守というスタンスの人間として言うけど。

それから、他にも単純に本を出して売れてる有名な哲学プロパーとか、あとなんだ、飲茶とか元ゲーム作家とかいうアマチュアを叩いてるだけなのかとか、そういう話にしても、たとえばコミットする必要なり事情なり目的なり動機というものが(勘違いだろうとなんだろうと)あって科学哲学とか哲学を学んだり本を読んでる人とは違うわけじゃん。そもそも、そういう事情とか動機がない人に向かって、大学の教養課程でやる授業みたいに「問題意識をもて」みたいなさ、高校の頭悪い倫理の教師みたいな事を言うわけで、哲学に自分自身の事情でコミットしてる人間にしてみれば、それが学生だろうと主婦だろうと刑務所にいるヤクザだろうと国家官僚だろうとハーヴァードの物理学教授だろうと、大きなお世話なわけじゃん。知るかよ、そんなもん。なんで立命の小僧なんかに勉強の仕方を教えてもらう必要があるんだよ。せめてオックスフォードの教授にでもなってから言えよって話だし、そんな思想史を2,000年前から順番に並べて、やれイデア論がどう、普遍論争はこう、そんなことのまとめ話を聞いて何になるんだよ。そこから無理矢理に捻り出した思いつきで、小学生が YouTube でも始めたら、おまえら「天才哲学少女萌え~」とか言い始めて、立命の客員教授とかにするのかよ。

要するに、そろそろお前たち物書きは哲学というか哲学に何事かを学ぼうって意欲がある人間のやってることをフジテレビのトレンディ・ドラマみたいに脚色するのはやめてもらえませんかってことなんだよね。おまえたち無能なプロパーや物書きがやってることは、どれほど『嫌われる勇気』が売れようと、他の何が売れていようと、社会科学的なスケールで言えば誤差ほども世の中を進展させたり向上させはしない。だから、俺はなんども繰り返して「ゼロ演算」だって言ってるわけだよ。要は、書き手と出版社と読者と教え手と学び手という、大きなスケールでやってる集団催眠にすぎないんだ。

ただ、何度も言うように、僕は学術研究というものは分業が基本だと思っていて、一人でやるようなことではないと言っている。一人だけでやってることは、どこまで行こうと、あるいはどれほど巨大な成果を挙げて後世に評価されようと、それは学問や学術研究ではないと思う(正当に評価すべきであるわけだけど)。なので、幾つかの読書経験から考えても、だいたい3割くらいはまともで信用に値する人々がいるんだろうと思っている。でも残りの7割は馬鹿や無能だったり、凡庸でなんにも考えてなく流されていたり、あるいはあからさまに下らない野心とか悪意をもってるクズどもだ。政府のなんとか委員に収まっていい気になってる彼もそうなんだよ。人の道徳なり人倫を政府が主導するなんて傲慢な集まりに、倫理学者、しかも教育哲学者として参加して喜んでるとか、本当にクズだよな。でも、3割くらいは僕と同じように由々しきことだと思ってる人はいる。まぁ3割だから常に少数派ではある。よって、うまくやればまともな見識をもつ人々に考え方を伝えたりできるかもしれないけれど、やはり相当な割合で、公教育がそうであるように、凡人が凡人をなんとか育てるようなことになる。

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