Scribble at 2024-06-05 21:03:45 Last modified: 2024-06-09 16:16:40
月曜日に出社して、入社したばかりの派遣社員に個人情報保護マネジメント・システムとしての研修を実施していた。建前からすれば、派遣された社員は契約で決められた業務だけに専心するため、こうした社内のイベントへ過剰に参加させることはできない(入社先で勝手に業務が決まったり変更されると、それは業務派遣ではなく偽装請負になるからだ)。ただ、弊社はプライバシーマークの認定事業者であるため、派遣会社で行われている教育に最低限度のレベルが確保されている証拠がない以上(ていうか、実際のところ派遣会社なんて研修とか殆どやってないだろう)、必要最低限の研修は受けてもらっている。
で、そういう話はともかく、僕が月曜日に出社していたというのが主な脈絡なので、それはいい。そして、会社での用事を終えてからは帰宅する途中にジュンク堂へ立ち寄って、既に何冊か読んではいるものの、(大人の)発達障害や学習障害あるいは LD や ADHD などの棚を物色していた。近くには同和問題に関連する棚がある。どこの書店でも似たような傾向があるのだけれど、不思議に思うこととして、なんで行政とか社会学の棚ではなく教育の棚に接して同和問題の本が置かれているのか、いまいち分からない。もちろん同和教育というテーマで置かれている本が多いという事実はあるが、教育だけの問題ではないというのも事実だろう。なお、書店で棚を色々と回っていないと、店員に尋ねなければ場所が分からない場合もあろう。たとえば在日朝鮮人やアイヌに対する差別というテーマは、時事問題の棚に近いし、黒人差別を含む人種差別は思想関連の棚と接しているし、女性差別やフェミニズムは社会学の棚だ。そして、障害者差別は福祉のところで、高齢者差別などは人事や労働衛生の棚にあったりする。
ということで、実は「差別」全般についての本が、そうした色々な棚に散逸していることがあって、ようやく棚の位置を色々と突き止めたうえで、全ての棚を一巡しないと新刊の情報が分からないこともある。もちろん、これが煩わしいからといってアマゾンなら楽に見つかるかというとそうでもないので、やはり実店舗で物色できることが望ましい。そういう事情があって眺めていると、このところは差別する側の観点を取り上げて解説したり分析したり批評している著作が出ている。いっときの、奇をてらうだけの逆張り芸人みたいなアマチュアの物書きが書いたエッセイではない、まともな内容のものが増えていることは歓迎すべきことだ。被害に遭っている側のディテールを聞き書きしただけのセンチメンタルなルポやノンフィクションにも一定の意義はあろうが、国内外を問わず、あまりにも偏ったアプローチの著作ばかりが多すぎると思っていたので、昨今の傾向は歓迎すべきだろうと思う。
ちなみに、このところ「~すべき」というフレーズを叩くと、Google IME が「~スべき」などと、なぜか「す」だけカタカナにして変換してしまう。Google IME は検索結果やクロールのデータを元に辞書をトレーニングしたり更新しているようなので、こういう書き方をする人々や業界があるんだろうか。