Scribble at 2024-06-01 15:58:31 Last modified: 2024-06-01 15:58:41
東大阪市の山畑古墳群のサイトについて、50以上の古墳を調査したデータなどは少しずつ集めている。そして、いつもこういう話題になると多くの文献がスルーしているのは、開口部の向きという着眼点についてである。もちろん、大半の考古学者は調査報告書や研究書の類で、開口部に関する情報だとか指摘そのものは見慣れているであろう。しかし、残念ながらそこから先に進む議論が殆どない。開口部がこれこれこういう向きを向いているのね・・・で終わるわけである。それがなんなのか。これを自然環境、それから古墳の造成の様子から推定することも、考古学の課題であり使命でもあろう。
もちろん、これはあくまでも推定にとどまる。古墳時代に人々が何をどう考えたり決めていたかを示すような、決定的な証拠というものはないからだ。というか、現代の我々自身がやっていることについても、実は他人からみて根拠や理由がよくわからない行動とか判断とか慣習などはいくらでもあるので、いわんや1,000年以上も前の人々が知っていたことや考えたことや決めたことについて、decisive なことなど言えるわけもないし、decisive であるかのように言うべきでもなかろう。
造成物なり建築物の向きを、そもそも決めないといけないという要求があったと考えるなら、その基準を現在の技術で測定した自然環境や造成物から推測できる限りにおいて、幾つの仮説がある。まず最も標準的な仮説は、季節の移り変わりや天体の運行につれて変わる何らかの尺度にもとづく方角があるというものだろう。山畑古墳群の大半の古墳は南から南西にかけて同じような向きを向いて開口しているため、これらの向きが似ている(少なくとも北や真東を向いている古墳が一つもない)という事実から言って、その方角に何かの意味があると考えるのが自然だろう。ただし、それがその方向を「向いている」のか、それとも何らかの測定の結果として「向く」のかは分からない。もし「向いている」という意図が加わっているなら、玄室から開口部、あるは開口部から玄室という、どちらかの方角へ向かって何かの意味があったという追加の仮説もできる。とまぁ、こうした考察が、少なくとも山畑古墳群については殆ど加えられていないし、そもそも横穴式石室についての論説全般についても意外に少ないという印象がある。