Scribble at 2024-02-07 16:43:05 Last modified: 2024-02-07 16:55:28

考古学の話ばかりしていて変なことになっているが、さきほどの投稿でも書いたように、実は考古学という分野には分析の指標とか参照枠において、かなり恣意性がある。そういう意味では、「文系」と馬鹿にされる弱みがあると言えばあるわけで、僕が森浩一先生や瀬川芳則先生から多くの分野のアプローチを学ぶように奨励されていたのは事実だが、その「多くの分野」とは言っても、それらはせいぜい民俗学とか文化人類学とか国文学などに限られていたので、それはおかしいと思って化学(遺物の年代測定)、土壌学、鉱物学、生物学、それから1970年代には少しずつ成果が出始めていた古墳設計の数理的な解析などにも目配せし始めたわけである。ただ、同じ趣旨で歴史哲学などの本を読むようになって、ポール・ヴェーヌなどの著作に親しむようになったのが、フランス思想に関心をもつきっかけになったのだった。よく、日本で通俗的な哲学本を書く人々が自虐的に言いたがる「極道」への第一歩みたいな話だ。もちろん、科学哲学が「極道」だなんて、まったくナンセンスな話であり、大阪で育った人間としても言わせてもらうが、そんなもん、ぜんぜんオモロないで。

ということで、よくある考古学の説明を例に採ってみよう。実に多くの著書に、古墳の副葬品が紹介されていて、鉄剣だの馬具だの金の装飾だのがあると説明されると同時に、決まって「副葬品によって権威付けを行った」なんていう解説が加えられる。でも、これは特定の仮定が正しいと認められない限り、迂闊に言えないことだ。なぜなら、当たり前のことだが、古墳に故人の遺体と一緒に何が副葬されているかなんて、墓を掘り出さなければ分からないからだ。いま目の前にある古墳を指して副葬品がどうのこうのと言われてみても、「へーそうですかい、てーへんなことだぁねぇ」と庶民はとりあえず社交辞令として感心して見せるかもしれないが、そんなことで権威付けになるとは思えない。ということは、少なくとも故人が埋葬される際に、庶民に向かって「こんなものを一緒に納めるぞ」と紹介するようなイベントがないと、誰も実際に見てもいないものを凄いと思ったりはしないだろう。

もちろん、古代史ではいま述べたようなイベントを「殯(もがり)」として扱っていて、特に皇族が亡くなると殯宮(もがりのみや)という特別な儀式場のようなものを設営して、場合によっては古墳が着工されてから完工するまでのあいだ、遺体を入れた棺や副葬品が人々の目に触れるようになっていたかもしれない。現代でも行われる「お通夜」のような風習は、この殯の名残ともされている。そして、こういうことが皇族だけではなく、数メートル規模の小さな古墳しか作らなかった各地の小規模な集団の首長が亡くなったときにも行われていた場合があるという仮定があったうえで、「権威付けがどうのこうの」という理屈があたりまえのように書けるのである。そうでなければ、仮に皇族しか殯が行われていなかったとすると、皇族は最初から権威があるのだから、殯によって権威付けをする必要など無いのであり、豪華な副葬品を同時に古墳へ納める目的や意義として「権威付けがどうのこうの」という説明には重大な疑問が生じるわけである。事実、副葬品の目的は権威付けなんかじゃなくて、中国から伝来した、故人が死者の世界でも豊かに暮らせるようにという葬礼の思想に影響されているという解釈もあって、そういう解説だけを書いている場合がある。いずれにしても、どちらも一定の仮説が成り立たないと書けないことだということは、いくら通俗書であろうと注釈しておくのが望ましい。

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