Scribble at 2024-02-07 16:14:46 Last modified: 2024-02-08 19:39:55

先の落書きで、日本の古墳時代後期(6世紀ごろ)に広まったとされる横穴式石室の類型研究で多くの成果を出している太田宏明氏の著作(『横穴式石室と古墳時代社会』、雄山閣、2016)を取り上げたのだけれど、この著作で採用されているアプローチや参照枠の設定には、幾つかの課題や疑問がある。したがって、このような著作で展開されたり提案されているアプローチも考古学の研究において着目されて良いという点では彼の著作を支持するが、その内容については若干の批判を述べておきたい。

まず、遺構の属性として「意匠的」属性と「技術的」属性を導入して、それらの特徴を紹介しているのだが、それらの区別そのものはよいとしても、区別の根拠となるそれぞれの属性の特徴については同意しかねる説明がある。たとえば、厳密に表彰としてのはたらきを有する意匠的な属性ほどゆらぎ(つまり地域や時代ごとの変異)が少なくて、逆に技術的な属性ほどゆらぎが大きいという。ここで意匠的な属性とは土器の装飾だとか壁画に描かれる模様といった目立ちやすい特徴のことで、技術的な属性とは土器を制作するときの身振りだとか絵を描く際の色の知識とかである。すると、常識的な印象では意匠的な属性の方が人や地域によって異なり、技術的な知識の方が差は少ないように思うのだが、どうして考古学の対象である遺構(横穴式石室)の分析では、一般的な印象と逆の仮説を立てて良いのだろうか。ここの論証が、太田氏の著作では非常に弱いと感じるし、実際にこういうことを論証するには、まさしく彼が推奨している学際的なアプローチによって、認知考古学だとか、文化の普及・継承に関して習慣や理想像といった情報がどう共有されるかというネットワーク理論のようなアプローチによって裏書きする必要がある。

もし意匠的な属性にゆらぎが起きにくくて、技術的な属性にゆらぎが起きやすいとすれば、或る技術を要する産業や生活習慣が伝播する際、たとえば土器を制作するという振る舞いを想定すると、見た目が同じという点ではゆらぎの少ない属性と言えても、土器を制作する手順や材質や道具がぜんぜん異なっているということがありえることになる。もう少し具体的に言えば、見た目は同じような土器なのに、それを作るために轆轤で土器を作った場合と、旧来のように棒状の粘土を積み重ねて土器を作った場合とで大きな変異があるという話になるのだが、それは土器の見た目を「意匠的」と分類し、土器の制作方法を「技術的」と分類したからそう言えるのであって、分類して区別すること自体に問題はなくとも、何が分類上の或る partition に入るのかという問題は別なのである。現に、土器の形状や装飾を何らかの特定の手順や技法で作られた「技術的」な属性として捉えることは可能だろう。つまり、何が「意匠的」であり、何が「技術的」な属性であるかという点で恣意性があり、残念ながら遺物や遺構の分析なり分類という点からの強力な実証なり論証が不足しているように感じた。

もう少し「意匠的」属性 vs.「技術的」属性という対比を追ってみると、太田氏の説明では変異が少ない「意匠的」属性の事例として、法令で規格が定められている国旗が紹介され、かたやそれらを服飾・装具などに縫い付ける際の技術や素材には色々な変異があるという。しかし、こういう対比も僕には「意匠的」属性全般の特徴と「技術的」属性全般の特徴とを対比するにあたって恣意的な事例だとしか思えないわけである。なぜなら、その逆に企業が保有している特許というものは変異が少ない「技術的」な属性であるのに比べて、その特許を使って製造された商品には色々なデザインのバリエーションがあるし、そうなっているのが商品開発の実状だからだ。こういう例でも分かるように、「意匠的」な属性は常に変異が少なくて「技術的」な属性は常に変異が大きいというのは、はっきり言って根拠がないのであって、もしそれらが条件によって変異が大きかったり小さかったりするというのであれば、変異の大きさだけでは属性を分類するのに不十分ということが言える(不要だとは限らない)。

次に、第3章では類型論の一般論を展開しているのだが、ここにも根拠のよく分からない想定で模式図がいきなり出てくる。そして、「人工物の個体はまったく同じ形態をとるものが複数回にわたって生産されることはなく、生産が行われる度に何らかの変容が生じるという特性がある」(前掲, p.67) と書かれているが、果たしてそうだろうか。たとえば、須恵器の生産技術を学んだ工人らが当時の政権からの命によって生産を始めるというとき、その目的は港区の投資家に見せるモックアップなどではなく、実際に生活や儀式で使う物品であろうから、いちどにたくさん轆轤を回して焼いたと考えても無茶な想像ではないはずだ。そして、その数が「これからは、こういう新しい技術で作られた器を与える」などと言ってバラ撒くていどの数量であれば、それらが色々な場所なり地域から出土する可能性もあろう。試作品を作っているなら、少しずつ作るたびに改良や微調整を重ねることは考えやすいが、土師器や須恵器など生活用品でもあった陶器などの生産において、作る度に何百年も後の時代の人間が見分けられるほどの違いを加えたり考案していたなどという想定(そして、現に出土した須恵器がそうであるなら、更に進んで、何らかの改良を加えない限りは生産を禁止されていたと想定することになる)は、僕には非常に複雑で特殊な仮説が立証できない限りは理解不能なほど常識外れな想像だと思う。

ということで、アプローチやスタンスは支持するけれど、議論の内容については色々と首を傾げるところが多い著作だ。こう言ってはなんだが、科学哲学の分かりやすい議論だけをつまみ食いしては、あまり成果の上がらない議論を何十年も積み重ねている、都市計画論や経済学方法論という分野の研究者の取り組みに近い違和感がある。実際、太田氏の議論の中でも三中信宏氏(彼は科学哲学のプロパーではないが)の著作などを参照しているが、系統樹というアイデアについてはともかく、三中氏の著作から理論的な寄与があったようには見受けられない。

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