Scribble at 2023-05-26 10:40:18 Last modified: 2023-05-26 10:53:33

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https://twitter.com/MelMitchell1/status/1661504781649682433

もちろんメラニー・ミッチェルが正しい。というか、いまどき高校生にすら笑われるような Whig historiography だろう。で、得てしてこういうことを言っちゃう人の方が「科学的」だという錯覚を撒き散らしてるのがマスコミだったりするから、余計に困る。どういう定義をするにせよ、「自然」はヒトなんていうどうでもいい生物種一つのために存在しているわけではないし、ましてやヒトから見て、あるいはヒトにとって合理的であるとか進歩であるという基準に照らして規則性があるかのように変化したり推移するとは限らない。逆に言えば、われわれのいまの人知を超えるからこそ知るに値するのではないのか。あるいは原理的に不可知であるかもしれないが、本当に不可知であれば「不可知」であること自体がわれわれには理解不能だし証明もできないであろう。仮に証明できるとしても、それは厳密に「知っている」ことを定義した上での限定的な(厳密に定義したからといって exhaustive である保証はない)証明である。これと似た話だが、不完全性定理の解説とか解釈の大多数(気の毒に数学者の一部すら含まれる)がデタラメである理由は、そもそも「完全性」の理解からして間違っているからだ。

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