Scribble at 2023-05-17 11:32:56 Last modified: 2023-05-17 11:39:34
ダイクストラのアーカイブに収録されているインタビューの transcript に、自然言語のように扱えるプログラミング言語という発想は間違っているという話がある。僕も原則としては彼に賛成だ。人どうしが会話するようにプログラミングできれば「簡単である」とか「伝わる」なんてのは、そもそも人間同士の会話ですら仮定できない妄想でしかあるまい。コンピュータの側が、プログラマの意図を忖度なんてし始めたら、それこそシリコンで製造した富士通や日立システムズの社員みたいなのが量産されるだけとなろう。
しかし、だからといってプログラマはみんなアセンブラで書けと言いたいわけではない。それはそれで効率が悪いという別の問題もあるわけで、シンタクスやセマンティクスとして扱いに誤解の生じるリスクが少ないていどの「高級」言語であればよい。そういう調整が難しいからこそ、みなさんもご存じのように色々な(結局のところ数学的には同じケーパビリティでの選択にすぎないと言えるにせよ)プログラミング言語が提案され、利用されている。
そして、同じことは学術についても言えると思う。昨今は可能な限り哲学や数学を「分かりやすく」説明することが良しとされているが、どのみちそういう「離乳食」ばかり食べさせられる人間にものを考える力は身に着かない。最初からそういう動機があって哲学を学ぼうとする人たちは、そういう離乳食を食べたりしないので、そういう出版物が増えれば増えるほど、哲学するべき人々とそうでない人々とが皮肉にも更に分離されてしまう結果となるのだ。そうして、これまた皮肉なことだが、君たち無能なプロパーがせっせと出版している通俗本を読み漁っている馬鹿どもは一向に哲学する真の動機も能力も欠落したままとなるため、君らの「お客さん」は決して減ったりいなくなったりしないわけだ。そら、毎月のように哲学用語集だのサバイバル哲学本だのクリシン解説本を出版してるお前たちクズみたいな出版社や大学教員は、50年くらい前の日本社会党の国会議員や岩波書店の社員みたいに、毎日の飯も美味いことだろう。