Scribble at 2023-05-14 14:22:35 Last modified: 2023-05-14 14:32:38

添付画像

Welcome to Life: the singularity, ruined by lawyers

概念だけの議論としても、multiple realizability が決着どころか哲学として殆ど全く進展していない事実を鑑みても、この手の議論には科学哲学どころか哲学として真面目に論じる価値があるという見込みがないと思うんだよね。日本でも、このトピックにコミットしてる人なんているんだろうか。いたら、ぜひ教えてもらいたいくらいだ。たとえば、木だけで作った構造物にヒトの意識を「移動」させられないと思えるのはどうしてなのだろう。そして、どういう条件があればそれは可能なのだろうか。

こういうシンギュラリティにまつわるインチキ科学だとか、あるいは SF オタの「意識のアップロード」みたいな御託にしても、死ぬのが怖いという叫びや強迫観念の行き場を探して安心したいというだけのことだ。それは、結局のところ十字架を身に付けたり、般若心経を写経したり、見知らぬ韓国人とセックスするようなことと何の違いもない、人類が決して手放そうとしない文化の一つだと言ってよい。たぶん、それに関わる人たちの大半は、実はそれがどうしようもない愚行であることは自覚しているんだよね。宗教なんて、なんであろうと死ぬのが怖いという衝動を誤魔化すための壮大で巧妙な仕掛けなんだから。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook