Scribble at 2023-03-19 19:59:52 Last modified: unmodified
アインシュタインが言ったとされる、「調べたら分かることを覚える必要はない」というフレーズを振り回して、勉強しなくてもいいとか、コンピュータにデータを貯め込んでいけばいいとか、あるいは検索エンジンや ChatGPT だけで論文は書けるみたいな与太話をしてる連中がいるのは分かる。バカにとってはイージーな生き方へとイージーに最適化されることが成功であり幸福だからだ。しかし、気の毒ながら宇宙だろうと人の社会だろうとバカが何もせずに最適化されるような fine-tuning など機能していないし、これは不幸なことだが、たとえ善人や哲学者であろうと彼らの生き方や考え方が最適化であるような宇宙や社会も存在しない。
そもそも、分からなければ検索すればいいと言っても、何を検索すればいいか、何を検索すべきなのかは、自分で覚えてないといけないので。結局、勉強している人間としてない人間とでは、興味や関心というアンテナの範囲だとかキーワードの蓄えにも差があるのだ。僕のように、記憶力が乏しくて頭の回転も遅い人間が国公立大学の博士課程に引き上げてもらったていどの評価を受けるには、個々の事項に関する膨大で正確な記憶力なんてものには頼れないわけで、常人とは異なる脈絡とか背景知識とか分析の切り口だとかを工夫するくらいしかないのであろう。
ともあれ、何を調べるべきかまで検索エンジンや AI は教えてくれない。そんなことまで君たちの代わりになるなら、要するに君たちこそ不要なのである。大学生がそういうことに頼るだけでレポートや卒論が書けるというなら、多くの企業は卒論なんてどうでもいいと思ってるけれど、少なくとも知識や知能として「誰か」の手を借りたいだけであれば、もう人間なんて採用しなくてもいいという話になってしまう。それから ChatGPT に「寄稿」を依頼するだけで学術雑誌が発行できてしまうようになるなら、まさに大学教員もたいがいは不要になろう。無能のくせに科研費の雑用ていどに文句を言ったり、暇潰しに社会運動にコミットしたり、そのくせ教え方を向上させるためのメンター資格をとろうとか、あるいは発声の訓練すらしない。