Scribble at 2023-02-21 17:12:00 Last modified: 2023-02-21 17:19:23

僕らのような、良い言い方はないのだが「クワイン左派」と言ってもいい科学哲学者は、科学と哲学の連続性というだけではなく、哲学の独特の領域とかレベルなど存在しないと考える。つまり、哲学の専門家なんていないと主張する。哲学的な思索に何か特別で独特な才能とか資格が必要であるかのように思い込むのは、単に近代教育制度の学位が生み出した錯覚にすぎない。したがって科学哲学者とか哲学プロパーが書いている「哲学論文」には、残念ながらあまり興味がない。寧ろ、物理学者が(哲学を DIS っていようと)哲学的な発想を使ってものを考えている現場に居合わせる方がエキサイティングだと思っている。もちろん、そこでは哲学をしているという自覚がないかもしれないし、わざわざ自分は哲学的な考察をしているなどという自意識なんてなくてもいいし、寧ろそんなものはない方がいいのだ。得てして、哲学科を卒業して Oxford U.P. とかから出てる哲学の洋書を何十年か読んでるだけで、自分が哲学しているかのように思い込んでるような愚物の方が、単なる面倒臭いだけのやつでしかなく、そういうのは(東京)大学でものを教えていようと哲学者でもなければ哲学研究者でもない。どれほど英語ペラペラで圏論やモデル理論を自在に語れようと、しょせんは哲学書の読書家であり、YouTube で古典の雑な解説をやってるガキと何も変わらないわけである。

Scribble at 2023-02-21 16:50:04

ぜんぜん違う脈絡で始めた話なのだが、しまいにはここで書いた方がいいような話になったので、念のため共有しておく。

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