Scribble at 2023-02-16 16:21:37 Last modified: 2023-02-16 16:35:52

Fighting talk, eh?! But is that a reasonable assessment?

Does Mathematics need a Philosophy?

当サイトを長年に渡って眺めている方であれば疑問の余地なく理解されると思うが、僕はこの手の話題には一貫して "Who knows?" としか答えない。確かに、哲学的アプローチなるものは必要かもしれないが、「数学の哲学」と呼ばれている特定のお喋りはいらないと思ってる数学者は多いだろうと思うね。つまり、自分たちが何か必要にかられてプラトンやデカルトの著作を読んで何かを考えるのはいいけれど、「君らにとやかく言われたくはないね」というのが、他の自然科学だろうと社会科学だろうと大方のプロパーの心境だろうと思う。そして、それは正しいと思う。したがって、当サイトで何度も繰り返して言っていることだが、少なくとも僕が学んだ「科学哲学」というのは、現実の科学者がやってることをサポートしたり正当化したり「クール」で高尚な事柄だと一般人に向かって熨斗を付けてやるような営為ではないし、逆に STS を装ったクズ左翼どもが喚いているような反核デモみたいなものでもない。

まさしくテグマークがシンプルに言い放ったとおり、"shut up and calculate" を地で行くのが科学者であり、そして科学哲学者でもある。科学について学び、そして自分の思うところを成果として粛々と積み上げたらいいだけである。

科学について何の分野であろうと何も学ばずに研究するのは傲慢でしかないし、それはつまるところ、大して学ばずに格好良く数式を扱ってるかのように相手に見せびらかしたいというオタク的な自己欺瞞でもある。もちろん、量子物理や進化論を知らなくても科学哲学に取り組めるわけで、コスメティック・サイエンスだろうと土壌微生物学だろうと、そんなことは僕の知ったことではない。要は、そこから哲学として何の成果を導けるかが重要だろう。流行のメジャーな学科に関わってるというだけで成果になると思ってる者は、要するに SNS とか出版業界でのパブリシティを実質的な哲学での業績だと思い込んでいるだけである。(「科学の」と付くどうかはともかく)哲学のプロパーも人であり生活者であり親や夫や子供や、とにかく生きている個人であるからには、死ぬまでの享楽としては意味があると考えてもおかしくないし、凡人がそういうものを求めるのも仕方ないわけだが、意欲ある人々には関わりにならぬよう避けてもらいたいところだ。たとえば、もう3年くらい前になるけど「GPT2の哲学」なんて言ってた連中は何の成果を上げたのかね。あるいは科学哲学ではなく技術者という立場で言うと、日本で IT だろうと情報理論だろうとセキュリティだろうと、その手の分野で何か一つでも業績ってあるのかな。正直、first penguin 的な成果を除けば、フロリディやボシュトロムですら本当のところ哲学として何の業績があるのやら微妙だろう(一般人から見れば。僕はフロリディについては "group privacy" の概念を持ち出したことは成果だと思っている)。

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