Scribble at 2022-11-12 08:10:39 Last modified: 2022-11-15 16:22:21

昨日は久しぶりに出社していた。もう長らく放置してあった UPS を宅配業者に引き取ってもらうための立ち合いとか、インフルエンザの予防接種を受けるとか、そうした特別な事情でもない限りは会社まで行って何かする理由も無くなってきているのだが、それは自分の事情だけであって、周りで起きる他の事情によっては出社していた意味もあると言える。ちょうど、昨日はそういう意味があったと思う。

なぜなら、ちょうど休憩で会社の近くにある堂島アヴァンザのジュンク堂で本を物色しているときにトイレへ行きたくなって、1階は混んでるから地下のトイレへ入って用を足しているときに、なんと停電したからだった。もちろん東南アジアやアフリカじゃあるまいし、何時間も電気が使えなくなるなんて事態ではなく「寸断」の類だが、それでも急に電灯が消えるというのは珍しい。関西電力の「瞬時電圧低下一覧」によると、2022年11月11日の16:10に大阪市内で発生したとのことである。そして、特に昨日は滋賀県と大阪府で何度も起きていたらしい。なお、送配電の情報を公開するスマートフォンのアプリケーションや Twitter のアカウントがあるらしい。そして、少なくとも Twitter のアカウントを見てみると、電圧低下による停電の情報は全くツイートされていないので、たぶんアプリケーションを入れても大して役には立たないと見込まれる。これはデザイナーにも参考になると思うが、アプリケーションと Twitter のアカウントを並べて宣伝したら、大半のユーザは閲覧できる情報が双方で同じだと見做すからだ。

ともあれ、そういう事故があったので、社内では「ネットに繋がらない!」ということになっていて、ちょうど出社していたために会社の近くにいた事情で、すぐに執務室へ戻って対処できた・・・というか、寸断しても大抵の機器なんて再び電源が入るのだから、ルーターも無線 LAN の AP も勝手に再起動はしていた。要するにセッションが切れてしまったために、AP へ接続する SSID とパスワードを入力しなおさなくてはいけないという手順が在籍していた全ての人(とは言っても5人ていどしか出社していなかった)に分からなかったのだ。なので、AP にアクセスしなおすと問題なく繋がったため、その旨を社内で知らせて終わりである。なお、弊社では全員に毎月 50 GB の転送量を使えるポケット Wi-Fi のモバイル接続機器を貸与しているので、こういうことがあって接続できなくなっても他の手段でネットにアクセスできる。よって、実は社内のルータが止まってもモバイル・ルータに接続先を変更すればいいだけなので、大きな支障はない。

さて、それはそうと堂島アヴァンザのジュンク堂では久しぶりに色々な棚を眺めていたのだが、以前に「大学生が使う古典文法の教科書がなくて、みんな高校の参考書を使ってるんじゃないのか」などと書いたが、古典文法の教科書は僅かだがあるにはあった。そして、一般的な日本語学の教科書にも記載が含まれているため、それも利用できる。また、国文学科では周知のこととして、大学ではいちいち古典文法など教えたりしないという可能性もあろう。なお、『大鏡』について関連する本を調べるとなると、書店では「日本古典文学」、「日本語学」、「中古の歴史」、「古典学」といった分類に分かれているため、それぞれで該当する出版物を物色しないといけない。もちろん、『大鏡』を「政治」について書かれた記録の一種だと捉えるなら政治史や政治過程論、あるいは経営の棚に『大鏡』に関連する本があってもいいし、そういう研究があってもいいわけである(というか、そういう研究や著作がないからこそ読む気にもなるのである。あの、家康や西郷隆盛や田中角栄が大好きで歴史的な些事を穿り返して経営に活かすという愚劣な文章ばかり扱っているプレジデントですら、『大鏡』を使って政治や経営を論じた著作は出していまい)。

それにしても、ここ最近は書店へ足を向けても哲学の棚は殆ど眺めないし、実際に眺めても全く手に取るべき出版物を認めない。もちろん、一読に値する本がたくさんあろうとは思う。いくら何でも、日本のプロパーが翻訳か多読を誇る蘊蓄野郎だけのバカ揃いや「ケア」と称する何事かを語るだけの偽善者、あるいは思想の名において稚拙なイデオロギーをばら撒く、哲学教員の皮をかぶった左翼や右翼ばかりだなんて思ってない。大半は、もちろん凡庸な成果を印刷しただけなのだろうとは思う。マスプロ教育に対応して、学術研究者も「マス」と言うべき人々を集める他にない、全ての当事者が大衆化された制度としての教育がディフォールトとなっている近代国家においては、そういう凡庸な人々の業績を積み上げてゆくしかないということも分かっている。それにしても、いまや内山先生のアリストテレス全集くらいしか期待するべきものがないというのも残念な話である。分析哲学なんて、もうあと30年くらいは読むべきものが出ないうちに発散・消滅するんじゃないか。科学哲学でも、もう Aufbau を誰かに翻訳してもらうていどの期待しかない。海外ですら、とにかく情報科学や情報セキュリティや暗号学に関連する業績が全くない(本当のところ、哲学者としてフロリディに何か業績ってあるの? プロのエンジニアとしても聞きたいけどさ。僕が見たところでは、あれもヌスバウムとか国内の駄本ライターどもと同じく、「政治屋」だとか大道芸人、あるいは出版業界のスターの一種じゃないのかね)というのも、或る意味では驚くべきことだ。

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