Scribble at 2022-10-17 10:03:47 Last modified: 2022-10-23 07:57:14

MarkupDancing でも説明したように、何年か前から『大鏡』に興味をもっている。しかし、ウェブ・ページを調べても、ここ10年で何かが進展したり改善されたようには思えない。10年ほど眺めてきたが、全くと言っていいほどリソースとしての充実には程遠いと言わざるをえない。僕の見識において、少なくとも大学生がオンラインのリソースだけで『大鏡』について国文学や日本語学や古代・中世史という分野での基礎的な素養を積むに足りると評価できるだけの量と質(無償だろうと有償だろうと問わない)を確保するには、たぶん更に2,000年ほど待たないといけない。当然だが、その頃にはインターネットなんて消え失せているだろうし、2,000年後までの人類の存続すら怪しいと言わざるをえまい。

とにかく、検索して分かることとして、高校の古文という水準で評価しても質の悪い解説や、あるいは参考書からのコピペ記事が大半である。そして、それらのページを無料で読めるからいいかというと、そういう問題でもない。なぜなら、そういうカスみたいなウェブ・ページというものは、特に古典文学の作品として『大鏡』を読む人にとって、平安時代後期の状況とか文化とか人間関係といった色々な観点や脈絡の説明が欠けており、子供のコピペに他ならないからだ。そういうものを読むのは端的に言って時間の無駄だし、程度の低い理解や偏見を刷り込まれるという意味では有害ですらある。

『大鏡』という歴史物語は、気の毒に文学作品として読んだ読書感想文も殆ど見つからない。そして、そもそも国文学や中世史の題材としても、文献のデータベースで検索すれば成果が少ないとも分かる。したがって、オンラインには高校古文の断片的な教材として扱われたブログ記事か、あるいは教科書的で偏見に満ちた「まとめ記事」しかないのが実情だ。これは残念な話ではあるから、何か機会があれば丁寧に扱いたいとは思うのだが、僕は国文学や古代・中世史のプロパーでもなければ、古文書(『大鏡』の写本である底本)が解読できるわけでもない。なので、せめてまともなレベルの読解とか読書感想文を掲載したいとは望んでいる。

なお、しばしば内容として同じ頃を扱った『栄花物語』を比較する(たいていは浅薄で愚劣な)文章を見かけるが、そもそもの問題として高校生や大学生が手軽に買って読める『栄花物語』のソースが書店に全く出回っていないというのは、かなり困惑させられる。古文の副読本として一部を取り上げたパッチワークのような本はいくらでもあるが、一つの作品として通読に値する体裁の手軽に買える本(古典文学全集のような、大型書店にすら置いているかどうかも怪しい体裁ではなく、要するに文庫として)がない。絶版の岩波文庫版『栄花物語』は100年近くも前の「古書」と言うべきものであろう。この状況を、出版業界は非難とまでは言わずとも読者から願望されてよい筈である。ちなみに、山本周五郎氏の時代小説が同じタイトルで出回っているのは、いかに「栄花」という言葉が一般名詞であるからといっても、端的に言わせてもらえば大いに困惑させられるし、しかも扱っている時代が江戸時代なので、書名しか知らない人に大きな混乱や誤解を引き起こしかねないのも困ったことである。

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