Scribble at 2022-10-11 10:45:59 Last modified: 2022-10-13 22:13:53

量子力学、あるいは特殊相対性理論も不完全性定理も同様だが、おおよそ100年以上にわたって膨大な数の(とりわけ)通俗書が出版されたり雑誌記事が書かれてきているにも関わらず、おおよその印象としては正確な知識どころか常識になったのかどうかすら疑わしいという状況にあると思われている。このとき、「思われている」という言葉の主体はプロパーなり専門家のコミュニティだと言ってよいが、場合によっては、そうした通俗書を出版する正当化が欲しい出版業界やマスコミだとも言える。

たとえば量子力学の通俗書が100年にわたって何度も出版され続ける事情の一つは、量子力学をプロパーだけでなく多くの人々が生活にあたって常識だと見做すための習慣や観念が普及したり共有されていないからであろう。少なくともこの点については、相当な留保が必要であるとはいえ、進化論は200年近くを要して生物学者でもない多くの人々にも知られるところとなり、いまの日本で「進化」という言葉を(生物学的に厳密かどうかはともかく)理解しない成人は殆どいないだろうし、人間を神様が創造したとか宇宙人が連れてきたなどと言う人は、直ちに宗教狂いか何らかの妄想に憑りつかれた人物と見做される。これを通俗的なステージでのファシズムだの集団主義だのと(無意味で社会科学的にも無効なやり方で)指差したり悩んで見せるような暇潰しは社会学者にでも任せておけばいいが、およそ啓蒙の理念が、可能な限り多くの人に同じ知識と称するなにごとかを身に着けてもらい共有することであるという実務の話として展開できるなら、かような画一性は啓蒙の理念の帰結であり想定であり理想ですらあろう。これを否定することは、通俗的な多様性だの個性だのというたわごとだけを口にしていれば大学で食える馬鹿な学科では一つの成果になるのかもしれないが、実際のところは無意味で矛盾しているとしか言いようがない、ただの賢人ぶったポーズというものだ。

しかし、進化論とは違って量子力学に同じような見識なり生活するうえでの常識と言える内容はあるのだろうか。もしそういうものがないなら、これまでの実績が示しているように、量子力学はいつの時代においても初学者には常に一定の修練を要する知識であり、自分自身の知識や常識の範囲では即座に理解することが難しい、発想の転換なり向上を求められるような分野なのだろう。量子力学の要点が生活の知恵に埋め込まれないものであれば、大学へ入って量子力学を学び始める学生は常に、いつの時代でも同じところからスタートすることになるので、これから500年が過ぎた世界においても学生は僕らと比べて量子力学を理解するのに何のアドバンテージもない。

実際、量子力学の通俗書が昔から繰り返して言い立てるのは、量子力学の「世界」が奇妙で常識とは違うということであり、その奇妙さについて専門の通俗書が出る始末だ。よって、いつまでもそうしたことを強調するだけに終始している段階では、進化論について「人を神様が創造したなんて、そんなことあるわけないだろう」という仕方で外堀を埋めるような常識が、量子力学についても醸成される見込みは低いと言わざるをえない。たぶん500年後でも「光は波と粒子の特性をもっていて云々」という話が、イエローバックスだのピンクバックスだのといったシリーズ名をつけた科学の一般本で語られていることだろう。

※ 余談だが、CMS を改定した。文言を強調するのにフランス語の引用符である angle brackets を使うのは、やはりフランス語なら引用符の役割がある記号であるから、やめようと思う。今後は、他の論説と同じように、語句を強調するときは strong タグでマークアップ(視覚的なプレゼンテーションとしては太字に点線で下線が入る)することとした。

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